Bruckner Psalm Psalm Nr. 150 c-dur WAB35 & HERGLAND WAB g-moll WAB71


交響曲第9番と同時期に作曲された作品。8分19秒から8分32秒までの進行は、未完のフィナーレに同様の動きをしているところがある。
最後のザクエンツを伴うfffのファンファーレは、ブルックナー交響曲のフィナーレの常套句とも言える。
オイゲン・ヨッフム指揮、ベルリンフィルが演奏したものが、1番いい演奏だと思う。


ブルックナー史上最も楽器の扱い方がヴァーグナーに近接した作品。
歌詞の大意は、ヘルゴラント島のサクソン人がローマ人の侵攻に脅かされているが、神の介入によって救われる、というものである。
しかし、5世紀という時代考証、サクソン人はこの頃、まだキリスト教を信仰していない頃ではと、歌詞の内容は突っ込みどころ満載ではないかと思う。
そしてこの歌詞の内容、日本に置き換えたら、元寇における神風を彷彿とさせるものがある。
Wikipediaに書かれている部分的には、熱狂的ですらあるような力強さが漲っておりとは、5分40秒から6分25秒のような箇所を指してのことだと思う。その独立独歩で次第に高揚を増していく高揚感は、ブルックナー交響曲第9番フィナーレにふんだんに使われている。
27秒から32秒と同じ響きが頻出する辺り。6分19秒から6分25秒も、ブルックナー交響曲第9番フィナーレで同様の音運びがある。6分49秒から7分7秒も同じく。その後7分57秒以降8分19秒付近。9分12秒から9分19秒で、トリスタン和声が聴こえる辺りも登場している。
テ・デウム音型に乗せて、神の賛歌で終えると言う意向からSMPC版のフィナーレではことさらにヘルゴラントからの引用が耳につく。
9分55秒から最後は全てではないけれどかなり踏襲されている、最初からここまで楽器が鳴っているわけではないけれど、該当ポイントの最初と最後の金管のファンファーレは、そのまま出てくるし、SMP版のコラール風の勝利のファンファーレの最初は、7分8秒から7分18秒と類似する。楽器はヴァイオリンとここでは使われていないホルンから始まり、次第に音量とパートが増えていき、最後は、ヘルゴラントの最後を彷彿とさせる勝利のファンファーレで終わるという結論に、SMPC2011版では至っている。

そのテ・デウム音型は、

の冒頭で聴ける。私もこの映像を図書館で借りていて、データを所有している。最晩年のカラヤンは絶世の演奏とのことで機会があれば聴いてみたい。
なお、ブルックナー ミサ曲第2番第3番を聴いてみた。
かのブルックナーの初期の庇護者ヘルベックは、ベートーヴェン ミサ・ソレムニスに比肩すると述べたが、私にはその理由がさっぱりわからなかった。
それだけの労を費やす気に慣れなかった。この時代のミサ曲として傑作なのかもしれないが、といったところ。そして同時代のミサ曲は基本的に知らない。
比較検証した曲は、J.S.バッハ ロ短調ミサ曲、モーツァルト 戴冠式ミサ、未完のハ短調ミサ、ベートーヴェン ミサ・ソレムニス。
曲の個性で言えば、J.S.バッハベートーヴェンが2強。歌心と響きの至純さではモーツァルトの2作はあまりにも素晴らしい。