佐村河内守プロデュース新垣隆作品諸評および騒動のその後

私にとって、下記の2作は、佐村河内守プロデュース新垣隆作品でとりわけ印象に残った作品だ。iQ180と言われる所以を自分なりに検証する際に聴き込んだ作品であるから。今は反証も出揃っている。その中で、どう感じて、どうジャッジするのか。ある程度の立ち位置と言うのはできているのだけど、古典、現代作品を、もっと聴かないといけないなと思えてくる。本当に、20世紀作品を聴ききってしまうと、役目を終えてしまう作品なのかどうか。
なお、それを抜きにして、佐村河内氏が述べた交響曲第1番に関して述べた売るための発言ともいえる、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」を額面通りに最終的に感じた経緯がある。それが深い思い入れを持った理由の一つでもある。これが、整理に最も時間をかけるところではないかと思う。他の作品でそれを見出せば、聴かなくなるかもしれない。それはわからない。ただ、古典、現代と聴く中でどう感じるかは絶えず検証していく方針に変わりなし。変わったら随時反映していく方向も変わらない。
佐村河内守 プロデュース 新垣隆 交響曲第1番「現代典礼」
交響組曲『RiSiNG SUN』徹底視聴、感想及びそこから見える世界



そして、この辺りの作品も、2桁は聴いただろうか。
なお、弦楽四重奏曲第1番とピアノ・ソナタ第1番はこれまでリリースされた作品の中では最も20世紀的、新ヴィーン楽派に通じるような響きに満ち溢れていて、最も聴き手を選ぶ作品ではないかなと思う。聴いていてもっとも体力を奪われる作品になる。今まで完全に消化できた気がしない。
吹奏楽のための小品 副題:戦争狂信への警鐘と祈りを聴く
企画書すらなかったという点からいうと最も佐村河内氏の手が入っていない作品ともいえる。ゲーム音楽のようなという注文と、邦楽器が入る編成と言うこともあって、初代鬼武者とモティーフなど共通項がとりわけ多かった作品でもある。
無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌを聴く
ピアノとヴァイオリンのためのソナチネを聴く
弦楽四重奏曲第1番を聴く
弦楽四重奏曲第2番を聴く
佐村河内守プロデュース新垣隆 ピアノ・ソナタ第1番を聴き込んでみて
ピアノ・ソナタ第2番、悲しみのためのドレンテを聴く
4声ポリフォニー合唱 REQUiEM "HiROSHiMA"を聴く
ここでは、鬼武者以前の作品は、すべて割愛した。そして、それ以降の作品は、一通り綴った。次のステップへ向けて進むための条件として、この論評を一通り綴り終えることが、今年最初の目標であった。そして、綴り終えた翌日辺りに、あの騒動が起きたことに、何か意味を感じずにはいられなかった自分がいた。


さて、佐村河内氏は、今頃になって、「耳が聴こえるようになってきた」という主旨を夫べている。
うそつきを言及する声は多い。
私は、氏を反社会性パーソナリティ障害を抱えていると推察するため、100%嘘と断言していいと思う。
そもそも、交響曲第1番「現代典礼」の企画書に書かれていたペンギュラムというロックバンドの結成は、Wikipediaを見る限り、2002年とのこと。
つまり、聴こえていなければその音楽性を知ることなど到底できないのだ。
楽譜も読めない、譜面を起こせないではなおさらだ。
よって、聴こえていないは、ありえないと思っている。
音楽には感心するが、この虚言癖は、ヴァーグナーらの末裔だと言い切っていい。