佐村河内守 Piano Sonata NR.1を聴いていて。

体調不良の時に聴いているからか理解が進まない。
弦楽四重奏曲第1番の聴き込みが足りなかったことも響いているのかもしれない。
レコード芸術で特選盤に選ばれただけあって、音のバランスがとてもいい。
聴いていると、非常に疲れる。例えて言えば、アラン・ペッテションの響きをピアノに移植したらきっとこんな感じと言ったような。
正直なところ、交響曲第1番 "HiROSHiMA"の時とは異なり、体がフラフラな時に、fffで鐘の動機の同音連打を聴いたら倒れそうですらある。
そのおぞましさは、私が仕事廃人の時に頭でイメージしていたクラスター音にも通じる。
おぞましい。解説を書いている野本由紀夫氏は、彼の頭ではこんな轟音がなっているのかといった趣旨を書いているが、聴けば聴くほどに納得してしまう。書きながら、アルバン・ベルク ピアノ・ソナタを聴いているとそのエコーがかすかに聴こえてくるが、全体は交響曲第1番よりも、雛型と言い切れる作品はない印象だ。その楽曲構成は、ソン・ヨルムの師も楽譜を読んで、完璧な構成に絶賛していたと、CDジャーナル 2013年12月号に綴られていた。そこには、ピアノ曲「レクイエム」が献呈者の意向でCD化されないことも初めて明かされていた。氏のインタビューが掲載された記事は、婦人公論以外はすべて一度目を通した。
第一楽章は、きっちりとしたソナタ形式で、冒頭の単一の楽想からすべての部分を派生させ、作品の統一感を確保しているところは、アルバン・ベルクピアノ・ソナタの影響が最も見えるかもしれない。それ以外は、独自性の塊に思えてくる。


世界を見れば、ユネスコ音楽祭では佐村河内守の弦楽のためのレクイエム・ヒロシマが聴衆を涙の渦に巻き込んだ情報も流れてきている一方で、ロンドンフィルによる交響曲HIROSHIMAのセッション録音も決まってるようであり、モスフィル来日(HIROSHIMAツアー)や、チョンミョンフン&ソールフィルもあるようだ。
またウィーンフィルコンマスこと、ライナー・キュッヒルが来年佐村河内守の《ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調》を演奏することが決まった。出元は、週刊ポストなのがあれであるが、少しずつ世界の反響も聴こえてきている。


私は、いわゆる無調の音楽で一番最初に入ったのが、ヴェーベルン ピアノのための変奏曲 Op.27なので、理解が進まないことへのショックはそれなりに大きい。
緩急強弱の激しさは、ストラヴィンスキーラフマニノフに勝るとも劣らない。とてもピアニスティックでありながら、ラヴェルとはまた異なる意味でオーケストラのように響いているような。オーケストラに編曲してもいいと言えるような。
聴けば聴くほど体にとても堪える。これを、乗り越えた時、私の視野は広がっていくに違いない。