4声ポリフォニー合唱 REQUiEM "HiROSHiMA"を聴く

この曲は、2013年8月17日、ミューザ川崎で行われた大友直人指揮の東京交響楽団による演奏会で、世界初演された「弦楽のためのレクイエム・ヒロシマ」のオリジナルである。



私は、「弦楽のためのレクイエム・ヒロシマ」を聴いたときは、J.S.バッハの系譜を感じたのであるが、この原曲を聴くと、パレストリーナジョスカン・デ・プレオケゲムと言ったルネサンス音楽や、ギョーム・ド・マシューといった中世アルス・ノヴァの様式からも着想を得ていることが伺える。
そして、その当然の帰結と言えるかもしれないが、アルヴォ・ペルトのティンティナブリの様式にも通じる、そんな作品だ。
実際に、極めてシンプル。音符は非装飾。そしてそれぞれがバラバラのメロディーを奏でながら4和音を形成している点が特に。
極めて清澄で、清々しい。その諸相は祈りの音楽である。

今、私の中で、第2次ブルックナーブームといったような状態で、ブルックナーばかり聴いていたのだけど、昔ながらの形式を踏襲しながら、誰とも似ていないと言うことに改めて驚いている。第9番の冒頭からすべてのカタストロフが終わるまでを例外として極めて肯定的な祈りを歌い上げるが、マーラー、ハンス・ロット、フランツ・シュミットが摸倣していないものは多い。氏の音楽の中で、こういった個性を見つけることはまだできないでいる。
引用と再構成の仕方は、模倣されないものだと思っているのだけど。
これで一応、全聾以降の作品のレビューは簡潔である。実際には、アシェリー・ヘギに捧げられた作品の断片、五木寛之に献呈された作品が、TVで流れていたことが確認されているが、私は、それらを見ることが出来なかった。よって綴ることはできない。

これからは、佐村河内守作品と、アルバン・ベルク「ルル」、ブルックナー作品を、探求していくことになりそうである。
すでに、初めてブルックナー交響曲全11曲にトライ。またヘルゴラントも近日図書館で借りる予定である。交響曲で未聴なのは、3番「ヴァーグナー」、4番「ロマンティック」、7番を残すのみとなった。3番は、第1稿と第3稿、残り2曲はフォロワーとなった識者の改変が入っていない最終稿を聴く予定である。今ここまで聴いて思うことは、ずっと、同じスタイルをひたすら進化・深化させてきたということ。5番のフィナーレは偉大だけれでおも、未完のトルソーこと9番フィナーレの断片を聴くだけで、個人的には影が薄れてしまった。2番6番は緩徐楽章が素晴らしかった。弦楽五重奏曲も、弦楽合奏版で手に入れる予定。ブルックナー嫌いでも好きな人がいる交響曲第1番は、ブルックナー開始ではない点等々、いい意味で異質。リンツ稿でのフィナーレは、同じく対位法の魔術師と称えられたセルゲイ・タネーエフ同様豪快極まりない。ブルックナーが、後年「じゃじゃ馬娘」と述べたのも頷ける。ヴィーン稿ではたしかに、じゃじゃ馬ぶりが抑えられている。この頃ならではの生き生きとした感じがないといえるかは、アッバード指揮ルツェルン祝祭管弦楽団で聴いているのだけど、まだ答えは出せていない。