返ってきた返事。突きつけられた現実は重い。苦しくとも負けじと前へ

昨日出勤前に返事が一つ返ってきた。
法改正によって、私自身最も軽い手帳なら受けられることを、去年12月1日に訪れた場所で聞いていたので、給与条件等をメールで送り、返事を待っていた。
ここで突きつけられた現実は、やはり重いものであった。
給与面で言えば、やはり非正規が多い。これは想像していたのだけど、とびぬけたものがなければ月収20万を掛け持ちなしで勝ち取るのは難しいとのことであった。
手帳交付にかかる期間は、最短1ヶ月。以前は、1年はかかっていたらしいから、随分早くなったと言う印象。
ハローワークおよび、40歳以下であれば私がニートの時にお世話になっていた私が暮らしている街某所が、中核を担っていることも確認できた。

頭は、相変わらず痛いが、致し方ない。
うんと祈り、悩み抜いて、進んでいく以外にないのだから。


そして、もう一人は、度々お世話になっている同志の方。
文章の読みが深い、法の下に絶対と言う姿勢が、個人的には、今でもリスペクトしてやまない。

もともと伝えたかったことが一つ。そしてその前後はスルーしてもいいおまけのようなもの、それがこちらで綴った事。
先月、当然わかっていてやはり起きた擦れ違いの事。
多分、その方自身が、考えている以上に、受け入れてほしいにとらわれていて、それを仏法に照らして強言として伝わることを承知の上で、仏法に相違しないように、それとなく伝えた。それを言われた相手の反応は、怒、自己肯定の低さから来る修羅に満ちていたと言うことだろう。と文面から見てとれた。
そのまま書くのは相手に失礼である為、オブラードを多くかけ、またこちらで意訳した表現である。
去年メールのやり取りで、私自身似たような場面があった。私はどうしたかというと、道理に照らして間違っていないと確信できたため、何も言わずに受け入れた。仏法と心理学の考えは、非常に近接しているけれども、数量化を過度にしたり、異なるところも結構あると言うのが、私の率直な考えだ。数量化して有用なところはとことん生かすべきであると思うし、仏法に照らして否であれば、用いない方がいいだろう。大綱の中の網目として用いるのが筋。という考えにもかなっているし、私が私淑するケン・ウィルバー弁証法止揚・統合する考えにも酷似しているとも考えるからだ。最もこの場合、弁証法止揚・統合も、仏法から反することであれば、用いてはならないと言う縛りがあることに留意したい。
私のように、心理学を学びながら、有意義に使えていない人間が綴っても説得力はないと思うが、根っこにあるロジックは、誤っていないと考える。

そうしたやりとりを振り返っても、性格が天真爛漫だから、心の根っこが素直とは言えないことがあると、改めて考えた。

3.16から始まる職場の激変に対して、ネットでつながっている方々から返事を頂くのは2人目。
要約すれば、その変化は、成長への絶好のチャンスであり。「自律・自立」信頼して何でも話せる先輩と出会うチャンスだとも。


その言葉を聴いていて、私が高校2-3年の頃、夢中になって聴いたある歌の、作曲家の言葉を思い出した。

私たちのテーマのひとつでもある飛翔感、行くしかない感を持つこの曲。

ぎりぎりの淵に立った時、その瞬間にこそ自分でも思いがけない力が出ること、今すごく実感しています。

この曲を作詞、作曲し、歌った岡崎律子さんは、この曲に込められた思いとして、この言葉を残された。
この曲のリリースから3か月後にファンには内緒でスキルス性胃がんと闘病。そして1年後の5月5日、私が東京へ家族とともに行く前に寝入る頃、この世を去った。
今年は丁度10周忌。その時にまた取り上げると思う。
Music.jpのインタビューでは、夢や人と人との関係のイメージで、「遠くて近い、近くて遠い」という意味でつけられた曲名とのこと。
不覚にも、改めて聴くと、心にジーンと響く。
これが私の素の感性でもある。

ハードルはあまりにも多い。それでも、負けじと駆け抜けていきたい。