別れの日当日

そして別れの日は来た。
この日、経営者は、20時間弱の耐久戦を無事終えて、4年未満のこの生活にピリオドを打った。
この業界に生きると、経営している間、振り返れば空白の期間と語る方は多い。
表情、言動を見ると、勝者の姿であった。去る間際の、泣いていたような、そして長い魔が忘れられない。もし、事務室で二人でいたら、お互い涙が止まらなかったかもしれない。
私から見ても病弱な体で、ピーク時の私のシフト以上の負荷に耐え、それでも3度病院送りになったが、無事に走り抜いた。
一人、インフルエンザでまさかの欠員が出たため、後半にかかった負荷は甚大であった。
前の職場を抜け出す時をはじめ、どれだけ護られただろう。くだらない話から始まり、どれだけ良き聴き手になって頂いただろうか。

私は、当初後ろめたい思いでいた。というのは、おととし、学会一世である、職場の先輩が十数年来の癲癇に倒れた。その直前に言っていた言葉を守れたかどうか確信が持てなかったからだ。「Kasshiniさん。経営者を守ってやれるのは、君だけだ。」そのときすでにその方は、前兆として、手が痙攣していた。また、誰にも言えないような珍行動をしていた。
体調不良も原因の一つではあるが、最大の理由は、長年ともに仕事をした方が人を物扱いしているように感じたという主旨であった。この表現は聴いた内容よりも、極端な表現であるかもしれない。それは、その方が戒めていたことで、去る時期を早めたのだと言う。
結論は、その速めた理由を聞く限り、後ろめたくなる必要はない。やれることはやったのではないだろうかと考えることにした。ただ、経営者の配慮があって、そう表現したのかもしれない。

この一週間落ち着かなかった。この日、心拍数の上下が激しかった。涙腺もたびたび刺激された。
経営者が、お客様から多々電話番号を聞かれたり、花束を頂いたりしていた。
まるで、ARiAの最終回を見るような光景だ。職場の高齢者からは、「人が15年かけて得られる信頼を、3年で築いた。」まるでiT企業のような言葉であるが、そう感じたメンバーもいたのは確かだ。

落書きで書いていたノートも役目を終える。いじめの温床にならなくてよかった。例えて言えば、リアルBBSといったところだろうか。
この一週間、私が書いた内容は、手のつけようもない声フェチであること。これを書いた理由は、下ネタで加熱した方がいたので、便乗した形。今が楽しければそれでいいという性格なので、私とは気があうのかもしれない。2度仕事を一緒にしていてそう感じている。2週間前だったかな、花粉症と風邪で、けいおんにおけるガラガラ声になっているヒロインのゆいを彷彿とさせるような声で、その話を、受け取った手紙に綴っていた。岡崎律子さんが作詞したセレナーデや、i'm always close to youの歌詞も書いてしまったから、その人はボロボロ泣かせてしまったかもしれない。一週間前から既にそうだったのだけど。
もう一つは、久しぶりに風景画を描いた。
一つは、私の故郷の心の原風景となっている妙高山と、静岡市方面から眺めた富士山と、下栗の里の3点。下栗の里は、30分でサッと書いた。
感想は一人しか書かなかったのだけど、現地に行ってみたいだった。
いもり池 逆さ妙高

下栗の里 南アルプス
何年も、風景画を書いていなかったのだけど、気に入られたことが素直に嬉しかった。
本当は、写真撮ったり、風景画描くの好きだったな。小学校の頃で言えば、成績も良かったし、受賞歴もあったと言っても、過去の話。それで生きていけるわけでは決してない。
ただ、本当に行きたい道は、クリエイターもしくは学者なのだなと再確認できた。
この落書きノートは、下ネタを沢山書いた、素敵な泣き虫さんが、受け取ったとのこと。

ありがとう。みんなに、改めて感謝。