フリーメーソンのためのカンタータ「我らの喜びを高らかに告げよ」 K.623

この曲には、逸話が多い。

のちに、1829年、イギリスの作曲家で出版業者ノヴェロは妻を伴って大陸に渡り、モーツァルトの生涯についての資料を収集して回っているが、このカンタータモーツァルトの指揮により歌われたときのことを次のように残している。

この曲の初演は大いに受けたので、彼は意気揚々と家に帰ってきた。 コンスタンツェによると、彼はこう言った。 「これ以上うまく書けたことはない。 これはぼくの最高の作品だ。 しかし総譜にしておこう。 そうだ、ぼくは病気だったから毒を盛られたなんてバカげた考えを持ったんだ。 レクイエムの譜を返してくれ、続きを書くんだ」。
[メイナード・ソロモン 「モーツァルト」 石井 宏訳、新書館 1999] p.742
K.623

しかし、証言者はモーツァルトの妻であったコンスタンツェである。モーツァルトの書簡が死の直前の頃には一切ない。そして残念なことに彼女自身が生きるためにモーツァルトのことに関しては彼女自身によって歪曲して記録しているところがある。よって、モーツァルト自身が生前自身の最高傑作と述べた作品は、ピアノと、ホルン、オーボエクラリネットファゴットのための五重奏曲 k.452しか残っていないというわけだ。しかし、モーツァルトの音楽の遺言として魔笛は必ずあげられているし、この歌はその要約とも取れるため、モーツァルトが最高の作品と述べても違和感は少ない。魔笛モーツァルトにとって会心の自信作だったのだから。歌詞はK.619と同様仏法にも通じている。作詞は魔笛の作詞家シカネーダーかギーゼケとされているが、共に優れた作詞家であったように思えてくる。

音楽で思想を伝える元祖はベートーヴェンと言われるのであるが、モーツァルトではフリーメイソンのための歌は、モーツァルトとしては例外的にそれをしていると言えるかもしれない。ただし、モーツァルトが親方になるまでフリーメイソンに入れ込んでいたのは確かであるとともに、音楽職人らしく、依頼にこたえた結果そうなったのかもしれない。
この曲を聴いていて思うことは、全セクションはそれぞれA-B-Aの三部形式で、最初と最後が全く同じ歌で、シンメトリックになっているというのは形式面で注目されるところだと思う。レクイエムも最後はジュースマイヤーに冒頭回帰という指示を出していたとされるがそうした試みとも呼応する。いずれにしても、晩年特有の清澄感はありながらも、なんと明るく力強い調べであることか。レクイエムが格別異様に暗くデーモニッシュなのは、レクイエムの注文に応じた結果であり、あの偽書の可能性がある、ダ・ポンテ宛とされているイタリア語の手紙と、父レオポルトが亡くなる前に息子アマデウスが最後に送った手紙に書かれた「死は(厳密に言えば)ぼくらの人生の真の最終目標ですから、ぼくはこの数年来、この人間の真の最上の友とすっかり慣れ親しんでしまいました。その結果、死の姿はいつのまにかぼくには少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、慰めてくれるものとなりました!そして、死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を与えてくれたことを(ぼくの言う意味はお分かりですね)神に感謝しています。」と書いた言葉と違和感が出てくる。この言葉は、フリーメイソンの教えから来たとも。フリーメイソンは、啓蒙主義に近接し、キリスト教よりも汎神論や仏法に改めて近接しているように思う。ゆえにキリスト教の聖職者からは危険視されたのだろうと思えてくる。
死の直前まで楽天的でポジティブなモーツァルトが思い浮かぶ。この曲を知る中で、私の中にあるモーツァルトの偽りに満ちた伝説はこうしてまた一つ消えた。男声合唱だから、ブルックナーはこの作品を知っていたら、好きだったのではと思えてくる。
イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団の演奏がよかった。これがヴィーンフィルであったらなお良かっただろう。マイナーとは言え、ヴィーンフィルが演奏しないのはもったいなく思えてくる。
ありえない聴いてみたいコンビは、指揮者は、ブルーノ・ヴァルターもしくはジョージ・セル。オケはヴィーンフィル。セルに限りクリーヴランド管弦楽団も候補。合唱団はスウェーデン放送合唱団。オルガニストは、マリー・クレール・アランがベストか。現実でできたらあまりにもオールスターなメンバーだけど。

この曲の初演は1791年11月18日。これからは、学会歌とともに、必ずこの歌を聴こうと思う。

以下、歌詞は、献堂することへの感謝と、飛翔氏逝くこれからに希望を抱き感謝と言えるもの。歌詞は、K.619の方が秀逸。