私が学会系BBSに書き込みを始めたキッカケ

私は高校の頃から、2chには書き込みをいました。今週になってからは見てはいませんが、それまでもときおりROMをしていたり、時々書き込んでいました。


学会系BBSのROMをはじめたのは富士宮ボーイ掲示板でした。
富士宮について、何故か調べ始めた丁度2年前の11月末であったと思います。


そのうち1年半程前から創価王道を知り、創価仏法研鑚掲示板を見始めたのは1年前でした。
少しずつ学会系のblog・BBSを見始めていたのですが、見ていた事には理由がありました。
リアルでは、中々会えないタイプの人たちが、触発しあっている姿に、BBSでもこんな場所があるんだな、とてもいいコミュニティだなと思ったものでした。
2chでは、すくなくとも私は見た事がありませんでした。


それが、崩れたのが富士宮ボーイ掲示板での沖浦克治氏アクセス禁止騒動でした。
目を疑うような、端から見たら誹謗中傷にすら思える光景を見るたびに気が重かったことを憶えております。


ROMを止めようと思ったのは、実際に沖浦克治氏がアクセス禁止になった前後でした。
批判のための批判、人をタメにする批判すしてはならないし許されるものではないと考えています。
今年の7月8日、創価仏法研鑚掲示板に書き込みを始め、一時期創価学会非公認非公式板1・2に書き込みのメインを移し、他数カ所に書き込みを始め、今に至ります。
この3ヶ月、学会系BBSが目まぐるしく動くのは初めてです。


建設的な意見・情報の交換場としての機能を失えば、BBSの存在意義など消えてしまうのではないかと考えているからこそ、それを防ぎたい・終わらせたいとの思いを内に秘め書き込みをしています。
勿論、様々な意見はあってもいいと思うのです。
破折すなわち相手に教義面の違いを指摘する事と誹謗の違いは、道理と教義の有無にあると思うのです。

話について行けない時がありながらも、最近痛感した事は、どこまで言っても平行線で堂々巡りを止める事が出来なかったという点で『今の自らの限界を知りました』『今の自らの身の程を知りました』と言う事ということに尽きます。


人は誰もが「自分」というフィルターを通して物事を見るため、常に他の方の発言を発言者の意図と違うように解釈しがちであると思うのです。
私もまた他の方も然りです。
また、良くも悪くも、結果成果だけでしか判断しない方も多いこともあります。
今回の元凶はその一点からしか見ない影響もあるようにも思えました。
そういった土壌を無くす事が大事にも思います。
要するに、幅広い視点から見ない事が元凶の1つではないかと考えたわけです。
これはこの現状を見て思う事として、私だけではなく他に書き込まれている方・ROMをされている方も皆共通している問題のように思うのです。
より教学を学び、指導を拝し、自己を磨き、文証・理証・現証の揃った人間になろうということをこの事をキッカケに決意致しました。


今私が向き合っている課題に、1つ1つ全力で挑戦し1日1日一歩前進して参ります!!


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