三証

教学の基礎 『教学の基礎 仏法理解のために』 P223-P224より

「文証」とは、その宗派の教義や主張が経文、仏典のうえで裏付けをもっているかということです。日蓮大聖人は「経文に明らかならんをもちいよ文証無からんをば捨てよ」*1と、経文上の明確な根拠のある教義を用いるべきであり教典によらない教えを用いてはならないと戒められております。文証に基づかない教義は所詮、自分勝手な己義(自義)であるからです。

経文の他に何か特別な秘伝・真理があると主張する者に対して「仏説に依憑して口伝を信ずることな莫れ」*2との伝教大師の言葉を引用され、仏説に基づかない「口伝」の類を信じてはならないとされています。

「理証」とは、その宗派の教義や主張が道理にかなっているかどうかということです。「仏法と申すは道理なり」*3
と仰せのように、仏法はあくまで道理にかなった教えでなければならず、道理に外れた教義は用いてはならないのです。

「現証」とは、その宗派の教義や主張通りの結果が、生活や社会に現れるかどうかということです。
日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、また道理証文よりも現証にはすぎず」」*4と仰せのように、文証・理証以上に現証が重要であるとされます。
(中略)日蓮大聖人は、文献・道理・現実の結果という3つの角度から、宗教の上列戦陣を判断すべきであるとされています。その事は宗教の選択という問題について、大聖人が極めて客観的・現実的な態度を取られていた事を意味しています。

【『教学の基礎 仏法理解のために』 聖教新聞社 P223-P224】

ようやく三証のUPが完了しました。
遅くなり、失礼致しました。

10月31日は、沖浦克治氏にまつわる一連の騒動を、三証の視点から考察します。私自身も交えながら考察して参りたいと思います。


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*1:新編 日蓮大聖人御書全集 P482

*2:新編 日蓮大聖人御書全集 P482

*3:新編 日蓮大聖人御書全集 P1169

*4:新編 日蓮大聖人御書全集 P1468