沖浦克治氏にまつわる一連の騒動について6

今回のテーマは、組織利用についてです。

このことを今まで取り上げなかった理由は、私自身が一番理解できていない点だからであります。


具体的に組織利用と断定される事は、以下のサイトが参考になると思います。


組織利用の定義 - 創価王道

創価学会広宣流布を目指す信心の組織である。いかなる者であろうとも、この目的以外に組織を利用することがあってはならない。これが鉄則である。


 マルチ商法などに見られる人脈を開拓する販売方法は絶対にダメ。売る側の人間が善意に基づいていたとしてもダメである。


 相手の役職が上だから買わなければならないという強制力を伴う場合がある。購入したことによって、買ってもらった側が厳しい話をしにくくなる。買った側が何らかの発言に対し「買ってあげたのに」となりかねない。金銭貸借の場合、小額であったとしても、こうしたことが起こりやすいことを銘記すべきだ。


 更に、それを見たり、聞いたり、知った学会員までもが、買わないといけないと思い込んでしまうことも十分考えられる。「買わせられるのかな?」という心の負担にもなりやすい。世間の目も、どこで光っているかわからない。



 結局、ある品物を購入した瞬間から、広布を目指す同志という関係性が破壊され、売り手と買い手という関係性になってしまう。利害に基づく堕落しきった人間関係といってよい。

親しみより破るべし - 創価王道

「親しみより破るべし」――個人でいえば、自分の心の中の油断である。学会でいえば、幹部の弛緩(ちかん)だ。幹部が王仏冥合の精神を忘れ、名聞名利に走っていく時、学界は破れていく。すべて破られるのは外からではなく内部からです。

 特に、信心を忘れた世法的なつながりから団結は破れていく恐れがある。信心もなく、「私はあの人がなんとなくお世辞を使ってくれるから好きだ」とか、「あの人は文句をいうからなんとなく嫌だ」といった世法的な行き方こそ、学会を破っていくものであると、厳しく互いに戒め合っていきたいと思う。学会内に、信心を忘れた、馴れ合いの妥協などがあったとしたら怖いことだ。飽くまでも峻厳な、純粋な信心を貫いていくからこそ、学会は永遠に発展していくのです。

【『指導集 質問に答えて』 1967-04-02発行】

(中略)

昔、よくこんなことを先輩から聞かされた。「大きな会合で体験発表をすると、その人は更に伸びてゆくか、退転するかのいずれかである」と。


 皆から、「凄い、凄い!」と讃えられて、知らず知らずの内に増上慢となり、「凄い御本尊」から「凄い自分」へと錯覚してゆく。謙虚さを失った信心は、脚光を浴びることでしか満足できなくなってゆく。こうして名聞名利の一丁上がり(笑)。


「信心を忘れた世法的なつながり」とあるが、商売のための「組織利用」には十分気をつけて参りたい。


 但し、闇雲に注意しまくって、不協和音を出すような真似は愚かだ。“信心は厳しく、人間性は温かく”というバランスが求められるのは言うまでもない。

創大利用 - 創価王道

各種グループや、創大サークルのOBによる組織利用にも要注意。なんだかんだと理由をつけながら、それを決めているのは、一部のメンバーであることが多い。少しでも不明な点があれば、断固、拒否すべきだ。実際にトラブルも起こっている。

金のかかることを絶対に強要するな - 創価王道

善意からなされた発言であっても、どれほど相手を傷つける行為になるかは誰にでもわかることだろう。リーダーは常に、こうした想像力を失ってはならない。

中元・歳暮の類は一切禁止 - 創価王道

細かい注意になりますが、7月はお中元の月です。学会は信心のこと以外は一切、自由ですから、一般世間の風潮としてお中元を行うことは当然よろしいでしょう。ただし、創価学会内で、幹部にお中元をすることは厳禁しております。信心を利用して会員から物をもらうということは絶対に誤りです。誰が見ても、また新しく入信した人が見ても、なるほど学会は潔癖だと納得するようでなくてはならない。皆さん方幹部はこの点、十分に注意してください。

【第89回本部幹部会 1967-06-30 両国・日本大学講堂


基本的なことだが、こういうことを教える先輩が少なくなっているため、敢えて紹介しておく。


夏季友好週間などに海へ行ったり、組織を挙げての宴席も禁止。昭和40年頃は、年賀状すら禁じられていたのだ。組織利用に関しては、神経質になるぐらいで丁度いい。


広宣流布の和合僧である学会において、信心以外のことで負担をかけるようなことをすれば、それは大謗法だ。いかなる時代になろうとも、厳しく戒め合ってゆきたい。


設営などで金がかかる場合もある。こうした時は、一部首脳で分担すべきだ。間違っても、設営に携わったメンバーに負担させてはならない。中には、御供養だと思って、沈黙している末端の人も少なからずいる。こういうことを見過ごしているだけでも、幹部は悪業を積むことを自覚せよ。


金銭貸借、共同事業は厳禁 - 創価王道

第四に金銭問題ですが、“金銭にみだらな人で強信者は一人もいない”ということを知っていただきたいのです。本部で厳しく禁じているにも関わらず、学会員同士で共同事業を行なうとか、信心を利用して同志からお金を借りるとか、そういう幹部がいるとすれば、それは真面目に信心即生活を実践していない証拠です。“信心していれば、事業の方は何とかなるだろう”、“学会活動さえしていれば、棚からぼた餅式に何とか金も入るだろう”と、そんな甘い考え方でいるのは大謗法です。信心が強くなればなるほど、金銭に対しては厳格な態度で臨むべきです。金銭は生活の尺度であり、基本ですから、金銭について不真面目な人、だらしのない人には、信心の厚い立派な指導者は一人もいないということを自覚していただきたいのです。

 長い期間にわたってみていれば、よくその実態がわかるものです。“火の信心”をしている人は、さも真剣に学会活動をしているようでも、結局は生活をおろそかにしているために、後で退転したり、人に迷惑をかけたりするような結果になっています。自分の生活は自分で律してゆく。真面目に働き、家計簿もきちんとつけて、月給が少ない時は少ないように切り詰め、家庭経済を常に完璧にしてゆく。そのような真面目な生活の中にこそ、初めて御本尊の功徳も顕現するのです。これが一念三千であり、信心即生活です。どうか、生活に負けるような幹部は一人もいないよう、立派に実践していってください。


【第93回本部幹部会 1967-10-29 両国・日本大学講堂


 これは、戸田先生の時代からの鉄則。これを破る者は師子身中の虫だ。一度でもやった者はアウト。金額の多寡(たか)は問題に非ず。

後輩に負担を強(し)いてはならない。会合は、“時間”という負担を強いることになる。そうであればこそ、中心幹部は、「本当にお忙しい中、お集まり頂き、申しわけありませんが」という姿勢で臨むべきだ。弘教の目標に関しても、「皆さん、広宣流布のために宜しくお願いします」と頭(こうべ)を垂れるべきなのだ。後輩に無理強いしてもいいのはただ一つ、「幸福になること」である。

組織利用をする者は学会の敵 - 創価王道

組織の仲間同士で金儲け目当ての事業をするとか、あるいはメンバーに、マルチ商法ネズミ講まがいの話を持ちかけるとか、絶対にあってはなりません。商品販売などでも、気をつけなくてはならないケースがあります。

“幹部だから”“あの人には義理があるから”“同じ信心をしているから”といった気遣いは一切、無用です。キッパリ断ってください。

 戸田先生も、そうした人間が家にきたら、「門前三尺以内に入れてはならぬ。大魔がきたか、学会の敵がきたかと、にらみつけて、追い返してしまいたまえ」と明快に指導されている。

 金銭を目的にして仏子を利用し、あまつさえ食い物にするのは、誰であれ「魔」であり「敵」です。


【『21世紀の創価の正義』青木亨編(鳳書院)2001-04-02発行】

日女御前御返事 - 創価王道

法華経をば経のごとく持つ人人も法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり*1


「世間の事」と「しなじなのふるまひ」と書かれているのがそれ。具体的には「金」と「モノ」といっていいだろう。組織利用を見抜くのは簡単だ。利用する側から見ると、買ってくれる人=いい人、買ってくれない人=敵という構図になっている。


今回、沖浦克治氏がスポンサーを担っている熱原公演で指摘をされていた点は、相手が学会員であることを知りながら、公演チケット(2500円)を販売することが組織利用であり信心利用であるということです。
私自身、演劇などの文化活動は賞賛されるべきものであると考えております。そこに、相手が学会員であることを知りながら物を買わせるということが、おかしいのではないかと考えました。


ここでなぜそれが危険のことであるかを、組織利用について - 創価仏法研鑚掲示板を見てみます。

21:組織利用の悪と怖さは単に金銭にからむ問題だけではなく、ある意図をもって起こす運動論や行動が、組織や人間関係を分断する方向に働き純真な会員を組織の本流から遠ざけてしまうことにあると思います。
その中心者に人望やカリスマ性があり、広宣流布と師匠にお応えする闘争なのだと扇動され、いつの間にかその中心者を守ることが闘争となってしまいます。
(中略)組織利用の根本は魔の働きです。


50:(中略)
では、何故に“組織”利用が禁止事項に入っているんですか?
そもそも組織利用を禁止事項にした根本の趣旨は何ですか?
戸田先生、池田先生がこれを禁止事項にお入れになった背景にあるものというのは何なのでしょうか?


それは、学会員さんの『信心』それ自体がおかしくなる可能性があるからですよ。
具体的には信心への「不信」を防ぐためです。退転を防ぐため。それ以外にありません。
(宗教団体としての「組織体」を防衛するため、なんていうのは二次的なものにすぎない。)


だから、ここでいう「組織」というのは、信心を通じた人間関係のことだと思います。
その『信心の関係』を“利用”して、何等かの社会関係とくに金銭関係を構築すれば、その金銭関係に問題が生じた場合に、そもそもの「信心の関係」自体にも問題が生じ、ひいてはお互いの『信心』そのものがおかしくなるからこそ禁止事項にしているんですよ。


特に金銭関係や共同事業、恋愛関係というのは問題が生じやすいです。社会一般的にも。
だからこそ、あえてこれを“明示”して禁止事項にしているんだと思いますよ。


したがって、「組織内はダメだが、組織外ならOKだ!」なんていうのは、まさしく『本末転倒』の議論なのだと私は思います。


すると、「組織利用」という言い方は、少々古い言い方、誤解を招きやすい言い方だと思いますね。

(中略)

ところが、学会の世帯数が大幅に増加し、“組織外”においても学会員さん同士の人間関係、特に「信心の関係」が生じた場合に、大きな誤解を生んでしまったのだと思います。
特に、ネットを通じた「信心の関係」なんて、当時は想定外だったでしょうから。


つまりここで重要なのは、組織内外を問わず、学会員さん同士の人間関係、すなわち『信心の関係』において、それを“利用”した関係(特に金銭関係)を構築するのは可能な限り排除すべきだ、ということなのだと思います。
つまり、『信心利用』をこそ排除すべきだということです。

(中略)

私は部外者ですので、事実関係に誤りがあれば謹んでお詫びいたしますが、ただ、その部外者である私が、ネット上での皆さんのやり取りを拝見した限りで感じたのは、その問題発生の重大な原因の一つが、どうやら「チケット販売」だったということです。
確かにこれは、おそらくは彼のキャラクターによる面もあり、その問題の一面だけを見て論じるのはいささか躊躇いたしますが、それでもあえて言えば、まだ初期の段階であのような問題が生じ、そしておそらくは彼の「信心」自体にも影響を及ぼした事実というのは、やはり無視できないのではないかと私は思っております。


175:要は、学会員さん同士の純粋な「信心の関係」を利用して、何らかの社会関係(特に金銭関係)を構築すれば、“原則として”組織利用・信心利用になると考えます。
なぜなら、純粋な信心の関係以外の関係は、利用される側の学会員さんにとって信心不信を招く恐れが十分にあるからです。


逆に、相手方の学会員さんにとり、およそ不信を招く恐れがない場合や、むしろ信心に必要不可欠な場合、信心向上に特に貢献する場合は“例外として”許容される場合もあるだろうということにもなります。


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*1:新編 日蓮大聖人御書全集 P1274