中観帰謬論

私がこのことを書く際にインスパイアを受けたものは以下の通りです。
インドの宗教史 - 創価王道
中国の仏教史 - 創価王道
インド仏教における空の思想 - 創価王道
「空」とは否定作業によって自己が新しくよみがえるプロセスの原動力/『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵 - 古本屋の殴り書き(書評と雑文)


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インドの宗教史 - 創価王道
中国の仏教史 - 創価王道
インド仏教における空の思想 - 創価王道
「空」とは否定作業によって自己が新しくよみがえるプロセスの原動力/『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵 - 古本屋の殴り書き(書評と雑文)


私は、日本に伝わらなかった後期密教を個人的に調べておりました。
理由は、その体系はきわめて論理的なものであり、文証・特に理証から誤謬点をあげることが大変であると考えていたからです。
また、日本に伝わらなかったために、御書で直接言及されていないということも理由の1つであります。


以下の引用元の、2つ目の引用を読まれてから、その先をお読み下さい。
インド仏教における空の思想 - 創価王道
インド仏教における空の思想 - 創価王道モバイル

中論に説かれる空が思想的進化を遂げる中で、このような過程があったようなのです。

5世紀頃に仏護(ブッダパーリタ)が『中論』に対して註を表した。(中略)その論証方法とは帰謬論証と呼ばれるものであり、結論Pを証明するために非Pを前提とすると、誤った結果に導かれてしまうゆえにPが正しいとする論証する方法である。仏護自身は言葉つまり帰謬論証を行うための言葉が空性そのものであるとも考えなかったし、言葉が空性を完全に説明できるとも考えなかった。彼にとって言葉は空性を「〜ではない」と否定的に指し示すにすぎないものであった。それでもなお、ピンガラの態度と比較するならば、仏護は空を言葉によって説明することにピンガラよりも一層こだわったといえる。


【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵 (講談社学術文庫) 第3章 インド仏教の空思想 P68】

月称の思想は、後世、チベットにおいてゲルク派の祖であるツォンカパ(1357-1419)により重視され、その後チベット仏教の主流となったゲルク派の思想基盤となった。
月称は、仏護と同様、空性は言葉を超えていると考えた。しかし、彼は言葉あるいは言葉の対象としての世界を軽視したわけではなかった。月称は清弁よりも遙かに熱心に現象世界の構造に関わり、また現象世界の重要性を認めていたのである。そして、現象世界に関する限りでは言葉とその論理的整合性を重視した。


【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵 (講談社学術文庫) 第3章 インド仏教の空思想 P70】

3 空思想の根本

仏教は絶対的な上あるいは宇宙の根本原理といったものの存在を認めない。我々が日常用いる言葉も、それがいかに精緻で整合的なものであろうとも、普段の否定作業に裏打ちされた空性を如実に表現できない、というのが空思想の根本である。しかし、その空性を求める修行者たちが住む世界は言葉あるいは論理の世界であるというように、大乗仏教徒たちもその長い歴史の中で認めざるを得なかった。つまり、時代が下るにつれて大乗仏教徒たちは、「すべてのものが空である」とのみしゅちょうすることは許されないことを知ったのである。ここで大乗仏教徒たちは大きな問題につきあたった。つまり「せべてのものが空である」というのみでは、自分たちの住む場である世界の問題が解決しないことを悟ったのだ。したがって、言葉とその対象である世界の構造を説明し、その上でそれらが「空である」ことを証明せねばならなかったのである。


【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵 (講談社学術文庫) 第3章 インド仏教の空思想 P86】

空の思想史 原始仏教から日本近代へ (講談社学術文庫)


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