Mahlar Sinfonie Nr.9 & Sibelius Symphony No.7
Mahlar Sinfonie Nr.9は、マーラーの交響曲の最高傑作として名高い曲です。個人的には、長調とありながら、終わることなく響き渡る不協和音がゴツゴツした硬いいびつな響きに聴こえて、心に残らなかった交響曲です。
後のメシアンのトゥーランガリラ交響曲は、1部を除いて無調の交響曲だけど、なぜ20世紀に無調の楽曲が増えたのかが理解できた気がします。あまりにも不協和音を多用してきたからということと、和音のルールに縛られずに不協和音を使うために無調の音楽が生み出されたのでしょう。
もっとも、トゥーランガリラ交響曲の方が、陰鬱な印象を覚えます。
無調の音楽以降の前衛音楽・実験音楽は数日以内にUP予定です。
対照的なシベリウスの交響曲第7番は、清溌かつ広がりのある響きの交響曲です。非常に珍しい単一楽章の交響曲です。この曲は、もともと始めから交響曲として作曲されたものではないのも関わらず交響曲としている理由は、全体を一つの拡大されたソナタ形式とみなすことも可能であり(構成的には従来の4楽章の交響曲スタイルをとっていると解釈することも可能なようです)、交響詩のような明確な標題を持たないことから来ています。
曲の構成は、
アダージョ(序奏)〜ヴィヴァーチシモ〜アダージョ〜アレグロ・モルト・モデラート〜アレグロ・モデラート〜プレスト〜アダージョ〜ラルガメンテ・モルト〜アフェットゥオーソ
交響曲としては珍しい単一楽章の構成を取る。これは、最初から意図して交響曲として作曲されなかったことによるが、
全体を一つの拡大されたソナタ形式とみなすことも可能である
交響詩のような明確な標題を持たない
ことにより、交響曲としての分類が自然である。
曲想は、
ティンパニのト音に続いて地の底から湧き上がるような弦の音階によってゆったりと音楽が開始する。しばらく厳かな楽想が続いた後、最初の盛り上がりとして第1主題ともいうべきトロンボーンの旋律が朗々と響き渡る。このトロンボーンの旋律は、中間部ではやや形を崩した形で現れ、終結部でもういちどほぼそのままの姿で再現されます。
これに寄り添うな旋律として、フルートによる上昇下降を繰り返す萌芽的なパッセージがあり、これは終結部においてもっとも長い完成された形で現れてきます。
間にはスケルツォ的な快活でリズミカルな部分を挟みますが、この曲の神髄は、有機的に融合した交響曲の各要素を、凝縮された音の中で表現しきったことにあります。
推移が巧妙に行われ、また同時に進行するいくつかのテンポが見事に統御されております。構造の統一と主題操作の見事さでは、この作品は交響曲の伝統の頂点に位置すると評されております。
*1
「人間くささ」は完全に消え失せて、精神的、宗教的とでもいえるような深い音楽が展開され、宇宙的な広がりを持った曲です。この曲はとてもつかみどころがない不思議な曲ですので、レビューはいつかまたかくことにします。
では、今回もVTRをどうぞ!
Sibelius - Symphony No. 7 (I)
Sibelius - Symphony No. 7 (II)
Sibelius - Symphony No. 7 (III)
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*1:曲の構成と曲想Wikipediaとニューグローヴ音楽大事典とPortrait of Jean Sibelius〜シベリウスの世界へようこそ〜を参考に書きました。他の楽曲もWikipediaとニューグローヴ音楽大事典を参考にして書いております。