総括、さらなる飛翔のために

TRY&ERROR 反省と次に繋げるためにで書いた話の続き。結果は言うまでもありません。昨日丸1日猛省。かなり気力を落とす。生きる意味を問いかける。そんな様を突き放してみていたら、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の話しを思い出していた。思い起こした理由は、他でもない、学業に倒れた主人公ハンス・ギーペンラート(モデルは作者であるヘルマン・ヘッセの弟)と2重移しになったのだろう。さっそく、文を引こう。

ああ、われはいたく疲れたり。
ああ、われはいたく弱りたり。
さいふに一銭だになく、
懐中無線なり。

【ヘルマン・ヘッセ 車輪の下 高橋健二訳(新潮文庫)】

 この本は、中学校2-3の頃に読み、主人公の葛藤ととてもシンクロするために、今でも好きです。
そうした葛藤に今でも襲われがちだからかも知れません。
今までの経験から言っても、この言葉が即座に思い浮かび、シンクロしている時点で、かなりボロボロなのは、火を見るよりも明らか。そう、二重に落ち込んでいたのでした。振り返る、あの頃と比べて成長していないのではないかと問いつめる。もちろん、実際には変わってきている。しかし、まだ足らない。更に言えば、変わってきているところと、何ら変わっていないところがある。
 元来、読書家であり、物思いにふける思索家・空想家。そして生来のネガティブ・シンキングが絡み合い、負のスパイラルが始まる。ここまで行くと、ただただ考えていても、無意味に終わることが多い。今回もそう。


 さきほど引用した本の解説から、共通していると思われる点として、内気でいこじで、激しいこと。とはいえ、皆をあっと言わせるエピソードはありません。人は、一人一人考え方や見方が似通ったことは、あっても、全く同じ人間はいません。ただ、私はずれ過ぎていることを痛感します。エネルギーの使い方を誤っていること、未来に方途を見いだせていないことが手に取るようにわかる。


 頭を冷やそう。私がコアにしていることは、ボヘミアンきわまりないことはわかっている。それをどう受け止め、現実をどう受け止め、どう実践していくか、変えていくか。そこにしか、未来がないことだけは、気づけた。黙って、祈り行動あるのみ。このテーマは、ひとまず寝かせて熟成させてから綴りたい。今回は、文体が何度も著しく変化していますが、それが今の私の人となりを象徴しているのだろう。今夜は、ジョスカン・デ・プレとエンヤなどのケルトサウンドを聴いておりました。こちらも近々。


 何があっても負けずに!!一時は破れたように見えても、最後に必ず這い上がれ!!立ち上がれ!!



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ