賢者の考察 4

賢者は論議したださないかぎり
その深奥さが分からない。
太鼓はばちで叩かなければ
他の者との違いが分からない。


【サキャ格言集 P9 サキャ著 今枝由郎訳(岩波文庫)】

賢者は悪口罵詈をされて、その偉大さがわかると言っているかのような文だ。
後半の譬えから、自ら求めていかなければ、その違いはわからないと言っているように思える。


論議してただせば深奥さがわかるとは、論議してただす時、賢者は、論拠・道理を弁えて、現実に即して実体験も踏まえながら対話するからだと思う。


近づくには、師を求め共に戦い、祈り、そうした言葉を心がけ、振る舞いを正していくしかない。道のりは遙か彼方ながら、一歩一歩前進して参りたい。


昨日は、黄昏れた頃から魔は迫り来た。悲観論に火がついた。チャイコフスキー悲愴のフィナーレを聴く。しかん、シンクロしすぎに気づき、曲を変えてベートーヴェンの大フーガを5-6回聴いていた。そこで落ち着きを取り戻した。そこで、新たに決めたことは、私自身の強烈な二面性をも超克して更なる高みへ行こう、そのために祈ろう、ただ勝つだけではない、ただ成長していくだけではない、共につかみ取ろうということ。どちらが欠けても真の成長がないことに最近気づいた。勇気を振り絞って上を前を向いて駆け抜けていこう。



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