あれから半日が経ち、曲を聴き思索しながら決めたこと

起きてから、昨日取り込めなかったポップスの取り込みとFLACへの変換、クラシックは変換作業をすべて終えた。そのかたわら、カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のブルックナー交響曲第8番を聴いていた。ようやくこの演奏が見えてきたのかも知れない。普段聴いているアーノンクールとは少し違う楽譜が使われており、カラヤンが使っていた楽譜は少し音符などが多い。その多い箇所で今までいつも引っかかっていた。無駄に長くしているだけに思えてくるのだ。更にヴィブラードがかなり強く甘美過ぎるようにも思えた。ただ、それこそが、ブルックナーのもう一つの側面なのかも知れない。そう思うと同時に、他の指揮者にはない良さが見えてきた。クナッパーブッシュの雄大さには劣るかも知れない。アーノンクールブーレーズの精緻には劣るかも知れない。フルトヴェングラーよりエスプレッシーヴォではないかも知れない。ベームのようなためは無いかも知れない。しかし壮麗さ、美しさはおそらく随一だ。それだけではない。すべてにおいて、中道なのだ。ところどころ、ピッチが外れているように感じたのはウィーン・フィルのピッチの高さ故かも知れない*1そこには、雄大さも情緒的甘美さ、精緻さすべてがあまりにもバランス良く揃っている。これこそが、カラヤンが帝王と言われた所以であるように思う。この演奏は、チャイコフスキー以来のインパクトだ。

そして唱題1時間へのトライについて。御本尊を見る時間は確実に増え、しかし、それでもなおあまり上がらない一週間が過ぎた。上げられなくなると罪悪感に負けたことも数知れない。好きなこと以外100%のパフォーマンスが発揮できない代わりに、こだわりをもつものに対しては完璧主義者である。また走り始めたら必ず最後まで走りきる代わりに動き始めがかなり遅し。
それでもしゆく。苦しい時胸中であげているのだから、あと一歩なのだろう。その壁を越えていくことからこの闘争を開始したり。



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*1:ただ、ベームの同オケ演奏よりも高く感じる