連休の中、色々しながら、聴き込みを

佐村河内守や、シュレーカーなどを聴く。

ヴィーン世紀末音楽の復興が遅れている理由の一つは、自作自演の録音がないことや、彼らが最高の理解者・解釈者として尊敬していたブルーノ・ヴァルターの録音がないことによる影響が大きいと思う。

シュレーカーで、ヘビーローテーションしたのは、最晩年に作曲された未完のオペラ「メムノン」への前奏曲


Franz Schreker - Vorspiel zu einer großen Oper (1/3)

Franz Schreker - Vorspiel zu einer großen Oper (1/3)

Franz Schreker - Vorspiel zu einer großen Oper (1/3)

この作曲家の晩年は、ナチスの弾圧により、音楽学校の職を失い、その職から来る脳梗塞から亡くなる。それ以前に、私が購入した狂える焔以降、単純にシュレーカーの新作は人気をなくしてもいる。
このメムノンへの前奏曲は、シュレーカーとしては官能色は少ない。シンプルだけど印象的なリズム、異国情緒に溢れ、メロディアスでメロディの畳掛けが非常に多く、金管を聴くとヒンデミットのような乾いた叙情性を感じるところもある。

3.シュレーカーの作品 - シュレーカー特集(指揮者 大野和士 最新情報)によれば、『シュレーカーの晩年の作品は、全く趣を異にしている。演奏されないのは、けっして作品としての価値が劣っているからではない。社会的な要因で今後、シュレーカーの作品の真価を発揮するような公演が実現し、さらに、シュレーカーが、いかに新しい「響き」を求めて挑戦し続けたかが知られるようになれば、シュレーカーの音楽史上の位置付けも、大きく変わるかもしれない。』に頷くのだ。
曲の構造もカッチリとしてしていて聴きごたえもしっかりとある。私が唯一手に入れた作品である「狂える焔」は各幕の前奏曲、プロローグ自体は非常にいいし、それらの変奏、間奏曲も見事。「遥かな響き」、「烙印を押された人々」、「宝探し」と比べて耽美ではないという意見もあると思うが、愛の2重唱では、負けじと劣らない。各前奏曲、2重唱、間奏曲を、「遥かな響き」、「烙印を押された人々」の演奏会用に拡大した前奏曲のようにすれば、人気が上がったかもしれない。実際そうした作品からオペラそのものの人気をシュレーカーは勝ち取った実績もあるし、私のような純音楽以外は聴かない人間からすると、ある意味非常に嬉しかったりもする。その辺は、コルンゴルト、ツェムリンスキーでも感じてしまったことがある。

この「メムノン」で聴こえるリズムは、「狂える焔」でも度々聴こえてくるのだけど、「メムノン」が最も印象的。この作曲家としては、最も異質な雰囲気の音楽ながら、メロディアスかつ色彩的、演奏会用前奏曲と言うのも相まって、ジーンと夜明けの風景と共に聞き入ってしまった。