NHKスペシャル 佐村河内守ドキュメンタリー 故郷の両親も見ていた。周りの反応を見てみる。

私の両親は、今でも最もエネルギッシュなあの世代に当たる。氏よりも十数歳は上の世代に当たる。
数か月ぶりに、訳あって電話をしていた。終わり際にこの話をした時に、両親自身名前を忘れていたのだけれど、見ていたようだ。
気付いたキッカケは、「日本に凄い作曲家がいるんだな!」の一言で。少なくとも全聾までは覚えていたと思う。
冒頭でも人気作曲家関連の文面が映っていた。個人的には、どれだけ流行っているかはイギリスでとった統計の方が、有用に思える。フランス・ドイツ語圏で統計を取れば、その普遍性がよりはっきりと見えてくるかもしれないように思う。あのランキングに国外の意向はあるのだろうか?鬼武者の時も、交響曲第1番"HiROSHIMA"の時もあちらの方がリアクションが早かったのが確認はされているのだけど。
NHK Eテレにて、27日 15時から東京ノーカット初演の模様が放映されることも伝えた。父親が聴いていた作品と言うと、ベートーヴェン交響曲第5番、第9番「合唱」、スッペ軽騎兵序曲とモーツァルトやヴィンナ・ヴァルツ、ショパンの一部しかイメージができない。家族で後期ロマン派やショスタコーヴィチ、前衛音楽ばかり聴いたことがあるのは、私だけである。趣向からいうと、好みになるかは何とも言えない。マーラーとか嫌いな方であったから。

その中で、私自身は、アンチのリアクションをチャッカリ見ていた。書いている記事には、気付けば釣り文句を沢山入れていたというのもあるのであるが。
否定的な意見を書いたりしてファンの書き込みで炎上して記事を破棄もしくはブログ閉鎖に追い込まれた様子が、web上では度々見た。単純に書き込みが多すぎてと言った事例もあった。
それを思えば、このブログは比較的平穏に来ているかもしれない。
勘違いをされたことが確認できたので、その度に、リンクで済むところはすべてリンクを明示してその都度その都度すべてを書かく方針に切り替えた。やはり周りからはどう思われているか理解できたものではないことを改めて再確認した。

アンチないし低めに書いた人物で印象的なものを見つけている。
低く点をつけているのは、氏の音楽性への疑問であったり、理解できなかったりであることは、言うまでもない。
今まで吸収してきた音楽をいかにして血肉にするかでしか勝負できない以上よりくっきりと分かれると個人的には思っている。
Amazon レビュー
ここが、ファン、アンチ問わず興味深い言葉が多かった。
星の多い少ない問わず有用度の高いレビューは、的確だと思えるものであった。
他だと例えば、
ココをずっと辿っていくと出てくる
ファンの方だとレビュータイトルが「万人向きではない、万人を思った作品」、「賞賛と酷評の間で」、「わかるような気がします」HNtakeoff氏、人によっては、アレンスキー氏も興味深いかもしれない。
傍観レビューとしては、タイトル名「同時代人に評価はできない」、「重い」が、非常に印象的だ。
自分の感性を晒す覚悟でネガティブ意見を書いたレビューがあった記憶があるのだけれど、見当たらない。削除されたか自ら取り下げたのだろうか。人によっては、書いた人の感性を疑いたくなると言ったタイプのレビューだったのだけど、この方のレビューも憎めないところがあったように思う。べートーヴェンやブルックナーと言った作品を理解した上で・・・に関しては頷くところもあったのだけど。知らないで書いている方が少なからずいることは事実だと考えているからである。


鬼武者 SOUNDTRACK 〜「交響組曲 RiSiNG SUN」のコメントは、ファンの方で興味深いものがあった。
タイトルはそれぞれ、「正に芸術」、「真の天才」、「西洋と東洋。見事に融合す。」は、とりわけ印象的だ。


桜、ふたたびの加奈子」レビューも見た。ストリングスの尖がった音が悲痛極まりない。ホラー音楽見たいと言うコメントを見る。おそらく弦楽四重奏曲第1番がそこでは、映画用に編曲されて流れていたことが分かった。この作品は、交響曲第1番以上に明るい場所がない。弦楽四重奏曲第2番は終盤を中心に何か所かあるのだけれど。スピリチュアルな内容と監督の美学を受け入れられるかで賛否は分かれているようだ。見ることを考えていたのだけれど、シンクロ率の高い映画以外見る気がないので、見送ることにした。それよりも、2009年の秋桜が存在を知らなかったために見過ごしたことの方が、ショックが大きい。


件のNHKスペシャル。私がリアル・web上で観た方の感想は基本的には好意的な
ものであった。唯一の例外は、共に暮らす身内だけであった。

アンチの人間に贈りたい。
あの内容で物足りないとなれば、自伝を読んで、なおかつ頭鳴症の発狂率の高さを自分の手で調べてほしい。そうすれば、氏がなぜ自殺未遂を2度したか、全聾の作曲家として脚光を浴びることを嫌ったかすべて理解できると思う。自伝だってさんざん周りに推されて、周りに光を当てらえるならとの思いでボロボロの体に鞭打って綴ったものだ。この本で、奇跡の作曲家として再び脚光を浴びることに当初不快感を顕わしていたか、これだけで見えてくると個人的には思っている。闇と戦う中で、同じく闇に向き合う人に希望の光を灯すために、アンチからは汚名を着さられても、不本意なプロモーションを受けようとも、それを受け入れて生きる決断を自伝を書いた時に決めたように思える。そう考えなければ、その後のメディア露出等が行動と矛盾するように思えるからである。
何故、現在最高の知性、iQ180の栄冠を手にしたか。それを一番手軽に知る方法は、あまりにも演奏者が多いために難しいオーケストレーション、邦楽器からくる微分音も用いながらも、緩徐楽章、諧謔なき舞曲要素も盛り込み、全編通してソナタ形式の体をなす鬼武者「交響組曲 RiSING SUN」を聴き込んで、本来であれば楽譜を観なければその理由は、わからない。交響曲第1番"HiROSHiMA"で感動された方は、ぜひともYoutubeで聴けるので、聴いてみてほしい。所詮AAC 128kbpsなので、非圧縮のWAVよりも鑑賞が辛いのだけれど、それでも伝わってくるものはあるから、聴いてみてほしいと思うものだ。


私は、全てではないけれどブーレーズと言った音楽にも、まさに身も心も生ける屍であった1年前に沢山聴いた。氏が述べた、闇のどん底にいる時に聴こえてくるのはおぞましい不協和音だに深く共感する。決して、前衛的な手法それ自体が間違っているはまったく思っていないし、これからも新しいアプローチが生まれることはそれはそれでいいことだ。ただ、それ以外認めないのは異常だ。書式・形式の完成度、美しいメロディとその変容が極めて優れた作品だって評価されるべきだ。右向け右からは、真にクリエィヴな作品は生まれないと思っている。異なるアプローチがそれぞれあっていい。そしてそれらを束ね、結果的に普遍性を持った作品が世に出るべきだ。佐村河内守の評価は、本当にこれからで、正直これからも賞賛する人間がどれだけあらわれるか、政治権力やアカデミーの権威によって不当に消え去られないかによって残るかどうか決まっていくものなのだから。

改めて、このブログを読んでいる氏のファンにも、アンチにも改めて述べたいと思う。


たまたま見た、整体師の方のブログ。頭蓋骨や直に連動する骨の矯正をすることで偏頭痛が良くなると言う。最後の言葉のいくつかは、私自身が、多くのファン同様願っていることだと思う。私の場合だと、それこそゲルソン療法を行えば、放射性物質がもたらす体のダメージを最小限に減らせられるのではと考えたりしたものだ。

最後に音・楽with something共鳴 金スマ 波乱万丈 佐村河内守
この時間は、出勤前なので、すべては見れないな。録る意味は、実はないと思っている。VHSでしか録れないというのもある。PCにキャプチャリングするのも負荷が重い。私のブログに氏関連でコメントを寄せて下さったさくらさんは、おそらく京都初演を見に行かれた方なのだろう。コメントを改めてみていると、鬼武者のサントラをプレミアと知ってながらも買った一人であることも確認できた。好き嫌いは別として識者の支持が改めて多いことに気付かされる。鬼武者「交響組曲 RiSINH SUN」を献呈を受けたのは、横山勝也氏であった。しかし、the bliliant greenの川瀬智子さんことTommyも行っていたことが確認できた。ブリグリは、トミー・フェブラリーともどもファンなので微笑ましく思う。

検索で引っかかったのか、コメントが来ていたので、その後起きた、起きた一連の騒動について反省と総括を書いたリンクを貼ることにする。
佐村河内守作品別人作に思う
佐村河内守騒動を振り返って