2013.10.16 茂木健一郎のツィートが感慨深い

日々炎上を観ている身として感慨深い。それはそれとして、一言付け加えると、学会員同士の炎上は、似て非なるものが多いなと感じる。何というか特殊だ。今は、そうとしか言いようがない。

以下、リンクの貼り方が分からないので、原文ママコピペ

ちけ(1)ツイッターのTLを見ていると、比較的目立つ傾向のようなものが見えてくる。最近多くなってきているのではないか、と思われるふるまいが、「小さな、権力者」とでも呼ぶべきふるまい。いわゆる「繊細チンピラ」と呼ばれる人たちも、この中に入ると思う。
ちけ(2)「小さな、権力者」たちは、他人のツイートに対して、@メンションでツイートを飛ばす。そのツイートの中で、他人のつぶやきの内容の「誤り」を指摘したり、内容を悪くとったり、あるいは不適切だと抗議したりする。時には、謝罪や取消を求めることもある。
ちけ(3)このようなツイートを、私が、「小さな、権力者」と呼ぶ理由は、そこに、一つのほんの小さな権力欲が満足されている構図が見えるからである。他人のツイートに対して、いわば、後だしジャンケンでのせていくことで、自分がその限りにおいて優位に立った、というような錯覚を呈している。
ちけ(4)動物行動学的に言えば、優位者が劣位者に対して行う「マウンティング」のような行為だと言えよう。そこで、ツイートの内容が実質的に修正されたり、間違いが訂正されたり、社会的正義がなされたりすることは比較的少ないように観察される。あくまでも、「小さな、権力者」の欲求満足である。
ちけ(5)「小さな、権力者」たちは、自分でも気づかないうちに、(あるいは気づいているかもしれないが)置かれた現状に対して不満を募らせているものと思われる。だから、他人のツイートに対して、依頼されているわけでもないのに、後から難癖をつける。しかし、そのような行為はしょせん空しい。
ちけ(6)賢明なる諸君は、私が今朝の連続ツイートのタイトルを、「ちけ」(小さな、権力者)としたことの含意の中に、「ちんけ」というニュアンスを含めたことをすでに推察ずみだろう。まさに、「小さな、権力者」の行為はちんけなものであり、人生においても、あまり発展性がない。
ちけ(7)ツイッター上で何らかの意見表明をした人の多くが、後だしじゃんけんでツイートしてくる「小さな、権力者」のちんけな振る舞いに悩まされている。しかし、冷静に観察して見ると、ツイッター上で表現者としてbrownie point(検索してみてね)を稼ぐのはあくまでも表現者である。
ちけ(8)「小さな、権力者」は、現状に不満を持ち、それを解消するための方策として「後だしジャンケン」をしてくるのだが、その結果として、一時の満足は得られても、表現者としての評価は蓄積されず、相手には嫌われ、特にブロックされ、結局中長期的に見れば、なにもいいことがない。
ちけ(9)「小さな、権力者」たちは、自分の一時的な優越感を満たすという意味では適応しているものの、中長期的な人生の評価関数の向上には失敗している。つまり、失敗戦略なのであり、できればやめた方がいいだろう。他人のツイートにかぶせるのは、好意的な「イイネ」を基調とするのが良い。

その後のツィートは、中略して

すばらしい! @neco_odoru1989 @kenichiromogi 茂木さんの連続ツイートを読んで、やなせたかしさんの言葉を思い出しました。「人間が一番嬉しいのは、人を喜ばせることなんだ。世の中は喜ばせごっこで、お互いに得意な事で支え合って生きている」

Twitter 茂木健一郎kenichiromogi


言葉の輪を広げていくうえで、一つのコメントから、様々なコメントが繋がりあい、連鎖していって成り立つものだと思う。
そして、善意のモノであれ、悪意のモノであれ、炎上する時と言うのは、ちけ(2)のようなことは、必ず起きていると思う。
私も、気付いていないだけでしてしまったことは、多々あると思う。
称え合い、罵り合い、賢者は去る。そして、コミュニティの質は落ちていく。分断の輪は広がる。ただ、根っこを言うと、これ以外にもあるなと思えてくる。