こういうのも「「現証のひとつ」なんでは?に対するアンチ・テーゼ 2

昨夜私が巡回しているBBS,ブログ,Twitterを眺めていて掘り下げていくべきと考えたので、続きを。
一時的に負けていることが現証であろうか。
小説 人間革命に書かれているエピソードの否定となりはしないだろうか。
例えば、信心強盛であった森川幸二の組合解雇は。
戦後、戸田先生の事業失敗は。戸田先生の事業失敗は、学会再建への取り組み方を祈りぬいたすえアプローチを変えたこと。天台交じりの法華経講義を改めたこと。そして山本伸一が、戸田先生と心を不二にして外交戦を戦い抜いた末に乗り越えた。山本伸一は、この間ほぼ未活動であったが、その後の活躍はご存知の通り。
牧口先生の獄死は。

小説人間革命から離れると、がんと闘病しぬいて、祈りきってそれでも亡くなられた方は。

自ら進んで唱題を重ね、研鑽をしていても、己義を改めることができず、艱難辛苦を繰り返し味わい、貪痴瞋と悲しみを丸出しにする者と、己義を見破り、着実に唱題を重ね、実践し、研鑽を怠らず、苦難を笑って乗り越えていく者の差は。これこそが、現証であろう。

このアンチテーゼを届けたい方。
本迹騒動の発端となった、その方が顔を出す私が離れたBBSを6年ぶりに見て気づいたこと。
私はその本質を自分の言葉で述べる力はないのであるが、沖某の誤りに気付けないのだろうなという結論に行き着く。
今回あらぬ形で、本迹にいったことに驚いているが、今でも改めて沖毒の恐ろしさを、改めて感じずにはいられない。私はご存知且つ申し訳ないことに誤字脱字魔であり、自分の言葉で書けないというのもあるのであるが、ここで書いても理解することは現状ではできないだろうなという結論に行き着く。今後は、コメントを頂けば、時間があるときに返信するのであるが、根本的な誤りに気付けない点、克服しようという意思が見えないため、当面リンク集からは外すことにする。悪しからず。