功徳について

今日は、私にとっての原点をテーマに、功徳を頂いたエピソードを書きました。


しかし、ここで、勘違いをして頂きたくないことが、1つだけ、ございます。


それは、「普通に努力してその結果として得たなにか」や「単なる幸運」と、「信心における功徳」を混同してはなりませんということです。

簡単に申し上げれば、「信心と学会活動において、それ相応のことをやっていないのに出た好結果を、“信心の功徳”と勘違いして、自分の現在の信心の測定を誤ってはなりません」ということです。

それを「功徳」と捉えるか否か、は、まさしく本人の確信ですね。
「偶然」、「単なる幸運」だのと、誰が何をおっしゃいましても、「それが紛れもない功徳です!」というのは本人には解りますね。なぜなら「相応の闘いを陰でやってきた」ことは、自分だけが知っておりますから。

先生の指導の一分をやって参りました、あるいはやっております、その明確な因によって、現在胸を張って、喜んで功徳を頂いております。
もしその因が見当たらないのであれば、私は全く喜べません。


にほんブログ村に参加しております。「ぽちっ」とヨロシク!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ






私が対話の姿勢から慕う方の御言葉からとなります。

ゆくゆく、精査されて、見誤らぬように、これからも精進して参ります。