2009.2.12

出先で反省すること多し。ノーと言えぬ命が災いし、帰宅が2時間以上遅れる。帰宅後、ダッシュで干した衣類をしまい、衛星中継に行くものの、到着に約40分遅刻。「闘争圏外、帰れ」と考える。いくら意識しても直らぬ、ソーシャルスキルの無さとコミュニケーションの欠如。そのことに焦りを覚える。死んでも構わんから、全力投球せよ。

この字数に要約するのに、悩みました。信条をダラダラ書けばそれだけで、文量が倍になることに気づき、何とか120字以内で書くことができました。文の要約力は、この数日で、1歩前進することができたかもしれません。しかし、会話に全く生かせていない現実に絶望を憶えた1日でもありました。いくら指摘を受け、意識しても直らない、むしろ自意識過剰でより悪化しているように思えても来ました。このままでは、社会に出て生きる資格なし、人間失格と思えてきます。御本尊にぶつかる、師匠にぶつかる、その意味を、祈り行動する中で考えることが今、求められていることを感じます。今から即実行。書いている内に愚痴になっていることに気づかされました。これ以上本題を書くと、自分でさらに府のスパイラルに確実に陥るために、祈ってぶつかる以外は、書かずに終えます。

昨日、電車の中で、シベリウス交響曲第6・7番、交響詩「タピオラ」を改めて聴いておりました。モーツァルトとの共通点は、その歌うようなカンタービレにも通じるメロディー、明るさ、溌溂とした爽やかさ、清らかな響きにあると思います。それ以外は、純正律風ではなく平均律である点、ギリシャ建築を思わせる格調の高さが無い点が大きく異なる点であるように思います。ハイドンのような典雅な形式美もありません。それに変わる魅力は、凝縮されきった各セクションのシームレスな結びつきのように思います。金管楽器のファンファーレにブルックナーの影響が晩年の楽曲にもあるように思います。それを、清らかな溌溂とした爽やかさに昇華した点が、私は好きです。

話を途中で180°変えましたが、立ち向かう現実はあまりにも重く暗く、壁は天に届くような高さのように思えてくること、多々あります。死ぬ覚悟で、全力ですべてに頑張らなければ、乗り越えられない、そこへ行っても生きてはいけない現状がそこにはあります。声でなくなるほど祈る時間を作ろう。短すぎる人物と結果的に何も話させなく日を設けて、自分自身を逃げ場が無くなるほどに追いこんで、生き抜こう。愚痴を誰にも言わずに過ごそう。愚痴を言わないことが、勝利の第一歩であることを、確信する1日となりました。ありがとう。



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