勝利の因果

                   御聖訓



 過去の因を知らんと欲せば其の現在の因を見よ


 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ

 過去世からの宿命は、今世で必ず宿命転換できる。広宣流布のために、三類の強敵と勇敢に戦い抜く中で、いかなる宿業も断ち切ることができる。
難を勝ち越えて、大果報の未来を開くことができる、と示されているのです。
 大仏法に巡りあえた青春が、どれほど崇高か。仏意仏勅の創価学会と出あい、同士と共に使命の道を進める人生が、どれほど幸福か。「妙法の因果」に生ききることこそ、今世の最極の福徳となるのです。


 「業因、業果、善因、善果、この理法は、誰よりも悉く自身が知悉しているのだ。所詮、誰人を責めるものでもない。誰人の責任でもない。」―。
 透徹した仏法の因果律に照らすならば、運命は嘆き悲しむものではない。決然と立ち向かうものである。いな、断固として創り変えていくものである。
 
 
 仏法も人生も、成長への最高の「因」となるのが「師匠」の存在です。師と出会い、師に応え、師と共に戦い師の勇気と智慧を生命に刻んでいく中で、自分の小さな境涯のカラを破ることができる。それこそが、大いなる未来の事故を築きゆく勝利の根源力となるのです。

 
 信心とは、過去から現在、また現在から未来への幸福を照らし出す道です。

 
 今の自分の境涯を高めていくことで、過去の因は悪因ではなくして善因となる。過去に囚われない。いな、過去さえも変えていくことができるのです。
 そして、今この瞬間の一念が変われば、それが「現在の因」となって「未来の果」をいくらでも変えていけます。
 日蓮仏法は、太陽の仏法です。現実を変換し、未来を創る希望哲学です。


 今の一念はどうか。それによって、上昇の道が深く、強く、できあがっていく。生死流転の苦しみを断ち切り、勝利と栄光の果を創造していけるのです。

 
 その根本が「祈り」である。
南無妙法蓮華経は、最も偉大な幸福の法則です。
 御書に「久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う」(御所P875)とあります。
 妙法を唱えれば、その瞬間に、久遠元初の大生命が発動します。そのとき、過去の宿業に左右されるような不幸は、乗り越えていけるのです。
 妙法の「変毒為薬(毒を変じて、薬と為す)の功力は絶対です。信心は、宿命を転換し、この人生を最高に楽しく生ききっていくための道です。

 
 最も苦しいときにこそ、最も神々しい歴史が刻まれ、最も大いなる福運が積まれるのです。
 広宣流布のために戦う皆様を、ご一家を、三世十方の仏菩薩、諸天善神が守護しないわけがありません。

 
 戸田先生は語られました。
 「結果を感じて結果に生きる―過去の因を考えて、今の果のみが生活の全体であるならば、人類の生々発展はありません。瞬間に起こった生活の事実を、たえず未来の原因とする、あるいは原因でなければならぬと決定するのが、本因妙の仏法であります」
 「南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果みな消えさって、久遠の凡夫が出現するのであります」と。

 
 仏法で説く境涯革命の因果とは、現実的には、師弟がなければ実現されません。「妙法の因果」とは、いわば「師弟の因果」です。弟子は「因」です。師匠は「果」です。で自の自覚に一切の因がある。
 「回も苦笑」においても、大聖人は「法華経の行者」としての勝利を示されることによって、弟子が敢然と立ち上がることを促されています。
 弟子の勝利が師匠の勝利である。これが師匠の甚深の方程式であり、「師弟不二」の真髄です。

 
 ゆえに君よ、あなたよ、断じて負けるな!現在から未来へ断固と勝ちゆけ!「師弟の因果」「勝利の因果」に生きゆく青春こそ、悔いなき生命の尊極の大道です。
 我が尊き同志の皆様、本年も勇敢に戦い、威風も堂々と勝ち進もうではありませんか!

【池田名誉会長講義 御書と師弟 第4回 勝利の因果 2009.1.8 聖教新聞(聖教新聞社)】

先生が最近仰る言葉の中に、『信心で勝て!』とあります。
まだ、私はそうした経験が少ないと感ずる。


打ち込んでいて、師匠とこれまで以上に求めぶつかっていこうと腹を決める。まだ祈りの足らなさ・弱さを痛感する。今回で、この宿業、絶対に断ち切ってみせる!!



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