学生部時代を総括

 もともと、この作業は、2月から今日に至るまで、度々してきた。もともと総括は書くつもりでいました。


私の原点1にも、かいたことではありますが、原点を築き上げることができたことは大きい。人をまとめ盛り上げていくことについては、課題がまだ多いものの、自分のことしか見えていない現状を考えれば、できることはしてきただろう。

当然それゆえの課題は多々ある。
今年の目標にも書いたことが、やはりキーワード。

1:愚痴・文句を言わず、怨嫉をせずに、信心していることに感謝し、こうなりたい!こう変わる!と祈ることです。

2:自らアクションを起こすのがとても怖いと感じる故に、受け身になりやすい傾向克服を祈ることです。

3:御本尊様への不信を心の底から、お詫びを致します。

そして、御本尊への不信を排すことです。

4:腹を決めて、勝つまで行動をすることです。

5:具体的に、「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ることです。

6:負けた時にも、理由を感情でねじ曲げないよう注意して、ボコボコにされることで、生命が清らかになると考えて、プラスに何があっても捉え直すことです。

話しは変わりまして、仏界湧現は御一読を。言葉で表現することがあまりにも難しいことを体験したことを、御文を引きながら表現ししていることそのものが素晴らしい。このことについては、今理解できている範囲で肉付けしていきたい。
この話のポイントは、

己の限界を遥かに超えて、祈りと行動で徹底的に先生に肉薄していったその時にだけ「仏界湧現は起こる」こと。

何かの悩みがあって、それを解決したいがために唱える題目や祈りの中では、「仏界湧現」はないこと。

ただ師を求め、師の大理想に生き抜くことだけを「本気で」思い、『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』のままに毎日闘われている師の思いを我が思いとして、何年も何年も平然と行動し続ける中で、埃を落とし磨かれて、御本尊と自身が「一体」である限り、やはりまさしく明鏡となった御本尊に映し出されてはじめて湧現しるものであり、そう「思えない」という時には正直に、まず「そのように思える自分にさせてください」と祈ることから始まる。

 この話は、初めに、引用した文と共通するところとして、純粋に疑わずに御本尊を信じること。『まず、「そのように思える自分にさせてください」と祈ることから始まる。』は、具体的にこうなりたいと祈ることに通じます。

 私は、人並みのスタートは、もう切れない。宿業は、軽いものではなくて、常に紛然と起こるものだ。勝って乗り越えるぞとの思いで、0から自分から立っていこう。そうして行く中でしか乗り越えられないから。さあ、挑戦だ!!



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ