こうして、ブログを書いていて思うこと。あからさまな、転載・引用が多すぎることを反省。自分の言葉で要約し、自分の言葉で綴ること。顕著になったことには、当然背景あり。3月の下旬から曲の記事が更に増えたことにもつながるのではないかと思う。3月の下旬にさしかかる頃より、無気力であったこと。おそらく印象に残る真新しい曲を聴いていなかったら、発狂していたかも知れない。自信の無さ、自信の無さを生み出しているいくつかが原因。未だ乗り越える道は、見出せてはいない。リアルと違いネットは取り繕いやすい。そして結果として、自己顕示欲と自意識が肥大化して暴走する人もいる。ここで良いこと書いていても、実際にできていないことも多いのではないかと思う。私もそうした傾向を否定しない1人。無気力であることは、色々なことで表れる。多くの病気が何らかの心理的な原因からくるとの見方から行けば、アレルギーは自分の持つ変える力を否定、喘息は息苦しい愛・忍び泣き、気管支炎は争い事の絶えない家庭環境、湿疹は、ひどく敵意を持つ。感情の爆発。かゆみは不本意な願い・不満・良心の呵責・逃げたくて仕方がない。まさにその通りと痛感する。生死についても考えもした。結論は、何があっても生き抜くは変わらない。端から見たら目が虚ろ且つギスギスしていることだろう。ボーッとしていただろう。そしてその一方で身体がガチガチに固くなっていることも。負の連鎖のなか、受け身であることが災いしているのは言うまでもない。この間、会話のキャッチボールは更に悪化し、テキストだけのやりとりでも、鬱屈が明らかに見える時もある。しかし、何かしなくては、前進もなく、生きてはいけない。怖い、しかし恐怖に負けずに、今を進め!!