2009.7.3を振り返る。

朝、メシアントゥーランガリラ交響曲を聴く。やっとこの曲の甘美さに気づいたストラヴィンスキー春の祭典を、より甘く耽美にしたような不思議な楽器の音色。夕方、ヴェーベルン交響曲カラヤン指揮で聴く。無音の中で、点々と聞こえる調べに、マーラーの大作を凝縮した広がりを感じる。ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番第1楽章の響きからわずかな明るさを消した様な響きであり、頻繁に聴くことは多分無い。ヴェーベルンが編曲したJ.S.バッハの6声のリチュルカーレと音の動きがやはり似ている、ただ明るくなる場面が1回もないことと、真意をわからせない表現に意図的にしていることを除けば。これからエンジン全開と言いたいものの、不完全燃焼であることに気づかされた1日だ。行動する中で思索をよりしないとね。



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