佐村河内守、視聴続き
交響曲は、じっくりと聴けるときに聴いている。聴けば聴くほど味わいがある。聴くたびに啓示を覚える。
今日は、鬼武者のサントラから。リンクは、後日つける予定。
実に、交響曲"HiROSHiMA"を彷彿とさせる楽器の使い方が聴こえてくる。鬼武者では、オーケストラが150人と言うから、オリヴィエ・メシアン「彼方の閃光」の編成よりも23人よりも多く、歌唱陣を除いたハヴァ―ガル・ブライアンの交響曲 第一番 ゴシックより約40人少ない。和楽器を含めると203名。推測になってしまうのだが、大体7管編成で、7管編成の中でもかなりの人数を要する、巨大編成作品に数えられると思う。音の抜けの良さ、チェレスタが浮かび上がるように聴こえるさまは、ハリウッド映画的でもある。この辺り、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、R.シュトラウス、マーラーからの影響なのだろう。ラヴェル「ボレロ」でしたような使い方ではないように聴こえる。
この規模を考えると、3管編成の交響曲"HiROSHiMA"では、よりアレンジが深化されている。というのも3管編成にも関わらず、演奏効果は、Youtubeで確認する限り、鬼武者RiSiNG-SUNと同等以上のものだと言えそう。交響曲"HiROSHiMA"でのカタストロフィーは、非常に前衛的に聴こえてくる。ただ、ルトスワフスキ交響曲第2番で聴く、管理された偶然性が織りなすトーン・クラスターのカオスと違い、全体的な音の動きは、それでも明瞭。拍が私は取れなかったので、ポリリズムと思いたくなるのであるが、CDの解説には書かれていないので、そう聴き取ってしまうのは、私のリズム感のなさに由来するものであろう。
吹奏楽の個品でも、あの重苦しい響きが聴こえてくる。
これが、氏が言う闇の音なのであろうか。
似ていそうで似ていない、これが氏の頭でいつも鳴り響いている世界なのだろうか。
視聴記、続く。