ありのままに綴ってみる

このブログでは、リアルではあまり出していないキャラクターを前回しているブログなのかも知れない。
親しいか対外に語ったことがないことをオープンなスペースであっさり書き綴ったり。
そうした二面性の激しさが実に私らしい。
だから、実に私らしいブログだなといつも思う。じっくりと考えて綴る時間が減り、内省的になり、googleのぺじらんくは5-4の高水準から3に落ちながらも、この短い時間の中でも、良い内容を書いて、より文章力Upしていき水準を戻していく予定。


さて、昨日は8連勤の5日目。例の如く、半ば狂乱の中こなしていた。
指摘された中で、協調性の無さがあった。
実際、その通りだ。自分のことが理解できていないからこそ、去年の春からほぼ1年間。ありとあらゆるものさしではかり抜いてきた。はかり方で信頼できた結果の中に、そして周りから見ても、協調性は無かったのだ。
無論全くないわけではない。無さ故に人との衝突は絶えないこともあったが、人への共感もないわけではない。大学で心理学を勉強していたことからもいえるけれど、本当は人が何をどう考えているのかを知るのはかなり好きだ。ただ1点、それが致命傷だと思うこととして。そうしたことが、行動を伴わないことなのだろう。同伝え、どう振る舞えばいいのかを何も知らないでいる。BBS上で退転者と出会ったことは多々ある。心も濁りきり正邪もわからなくなった方々だ。それでも、その点は、私よりも、少なくとも今はできているのだ。こうしたことの克服は、荒療治は、私の場合合わないなとここ最近感じている。典型的なコンビニ地獄の様相を呈し始め、もう休みはほとんど無いかも知れない。それこそ、月1-2日くらいの。24時間365日不夜城の世界は、生活リズムも不規則になる。今回、風邪を引いた理由の1つは、身体がリズムに合わないと証明しているかのようである。このまま行くと、今よりも寿命を削り、周りと隔絶したような生活をするのだろうな。既に隔離された感覚を覚える。


さて、根っからのペシミストであり、人生は苦なりという感覚に取り憑かれている私が最も落ち着ける空間は。


優美な富士山が見える田園風景。緑は豊か。巨大編成のオーケストラの全パートがくっきりと明瞭に聞こえるオーディオで、音のシャワーを浴びながら、ゆったりと親しい友人と雑談をしながら古典や哲学書を読む風景。このイメージとかなり違う印象の地もありながら、いいなと思う地は、何カ所かある。都内にも2ヵ所。静岡・山梨に10ヵ所以上はイメージに適う地あり。国内で他の風景は、松本盆地〜美ヶ原から見える北アルプス妙高山。国外なら、ヒマラヤ、チャタ山、アルプス山脈。小さい頃から山の空気に慣れ親しんだため、イメージする風景は山ばかりなのは仕様なのかも知れない。


最近、晩年のカラヤンとウィーン・フィルの協演に感銘を受ける。偏り無き音の洪水に圧倒されるのだ。ブルックナー交響曲第9番は、まだ1回しか聴いて折らず。もっとじっくりと聴きたい。マウリツィオ・ポリーニ演奏のショパン24の前奏曲を聴いた。マルタ・アルゲリッチと異なる快速の演奏に今までと違う力強いショパンを見た気がした。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
スカウター : 信心の王者たれ!