脱線の果てに

この1日、痛烈なコメントを頂いた。未承認のままにしている。
そして、これから書く内容は、そのことへのアンサーでもある。


発端は、愚痴から来るものである。タイトルからも脱線が甚だしいこともさることながら。
毎日書いていると書くだけで、どんな状態かはてにとるように見えてくる。
甘ったれも事実。
今までも4-5回、脱線していることに気づき、修正してきた。


これからも時間との闘いは続く。消去し尽くして、そして加え尽くしてつかみ取らざるを得ないものがある。おそらくそれを放棄すれば、今よりも心身がおかしくなるであろうことも、見えている。自立、またそれ以外の点でもいえる。


そして今まで以上に修正を。
一人静寂に、集中する時間をつくり。
1つのこと以外見えないかつ生活リズムが不規則にならざるを得ない中ですることは、熾烈を極める。
話を一瞬変えるが、今年の春に−をプラスに言い換えることを試みた。
そして、それでも持ち味についていい実感がないのは、それだけ自信の無さもさることながら、人への恐怖心も抜け切れてはいないのだろう。
数多の絡まった糸をほどくためにも、一歩歩みを、思いを新たに。


まだすべてに答えてはいない。少し落ち着いている時に続きを書く予定。


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