JOHN WiLLiAMS & KORNGOLD

ようやく書けるくらいの聴き込みをした。

もちろん、スターウォーズの音楽の作曲者であり、スピルバーグ監督の盟友であることは知っていた。
私は、吹奏楽のようなテイストをあまり好まないし、ファンファーレがただ分厚いように思えたこともあり、自分から進んで聴くようなことはしなかった。
そして、最近、音楽におけるユーゲント・シュティール、ヴィーン世紀末期の作曲家、とりわけコルンゴルトの音楽を聴いていてであった。このネタ動画が、ジョン・ウィリアムズに興味を持つきっかけを与えた。

度々紹介してきたこの動画。
http://www.youtube.com/watch?v=V47enEvsafQ&FMT=18:MOVIE
http://www.youtube.com/watch?v=V47enEvsafQ&FMT=18:TITLE=starwars vs kings row
スターウォーズのテーマ曲が、コルンゴルトのキングス・ロウと酷似していることを知った時、思わず爆笑した。ハリウッド映画のルーツが、あのヴィーン世紀末の音楽だったとは。ヴィーン・フィルが演奏したスター・ウォーズに感動したのは、ほぼ2ヶ月前のこと。年末にタワーレコードから購入。今も時折聴いている。
その頃から、コルンゴルトジョン・ウィリアムズの映画音楽をYouTube上で探して聴いていた。
酷似しているのは、同じ調で、おおむね同じ和音を使っていることに起因する。
そして、共に象徴的な音型があったあった。「ド−ソ」である。このメロディ運びは、完全五度と呼ばれる音程で、和音でこの進行をすると、非常に力強く硬い響きがする。それ自体は、オクターブの次に澄んだ響きをするものの、他の進行にした際に、濁った印象を与えるために禁則とされている。また非常に神々しい。ゆえに、ブルックナーは、愛する神にささげた交響曲第9番では、惜しむことなく多用していたりする。
ハリウッド映画の、オープニングのファンファーレは、このパターンが多くて、コルンゴルトグラミー賞を受賞した風雲児アドヴァ―ス、ロビン・フッドの冒険をはじめ、海賊もの、冒険活劇はあまりにも多いので、聴き飽きてしまった。コルンゴルトのシー・ホークも同様に海賊ものかつ冒険活劇であり、ファンファーレを聴いていやになってきた。こうしてワンパターン化された映画の内容や音楽を聴くと、コルンゴルトがハリウッド映画に嫌気を指したかわかる気がしてくるのだ。
そしてジョン・ウィリアムズ。スーパーマンといったファンファーレがスター・ウォーズと基本が全て同じ。なので、ファンの方からは恨まれることを書くと、音楽だけの場合、2度と聴かないと思う。映像と合わせた時に聴くと思う。それは、小学校の頃に心躍らせた、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も同じ。また私が小学校6年の頃にやっていたアニメ「ロスト・ユニバース」のファンファーレ調の曲も今思うと、同じような作り方をしている。

ロスト・ユニバース 第1話
TKサウンドが強いOPのあとから2分30秒までのBGMが、該当箇所。こういう楽器の使い方、雛型のひとつにスターウォーズが垣間見えはしないだろうか。
OP後に流れるフルートとホルンの掛け合いの楽曲は、同じような叙情性を持った楽曲がスレイヤーズNEXTにもあった。

コルンゴルトの場合、こうしたファンファーレの元祖は、ヴィーン・フィルが初演して大成功を収めた「シンフォニエッタ」第2楽章の冒頭のように思えてくる。

Erich Wolfgang Korngold (1897-1957) : Sinfonietta for large orchestra (1913) 2
冒頭から40秒まで聴くと、20世紀FOXのタイトル・ロゴのファンファーレにも通じる気がする。手掛けたのは、コルンゴルトと同時期にハリウッド黄金期の音楽を手掛けたアルフレッド・ニューマン

コルンゴルトの映画音楽は、Between Two Worlds(邦題:霧の中の戦慄)が、非常によかった。コルンゴルトは、オペラで試みたことを、脚本を見て、キュー・シートを使わずに、映画音楽に注ぎ込んだとされるが、この映画の組曲を聴いて確信した。コルンゴルトが自身最高傑作と述べた「ヘリアーネの奇跡」に近い。響きも内容も。そう、この作品は、ハリウッド映画では珍しい、そしてコルンゴルトが得意としていたファンタジー系なのだ。悪役に滑稽な印象を与えないテーマにしたりしていることに進化を感じる。不協和に聴こえる場所は、復調かバルトーク風の無調性を取り込んだ調性音楽になっている。それでいて、メロディーが美しい。実際に演奏すると難しそう。古典とアヴァンギャルと融合・共存された姿が素晴らしいと思った。個人的には、「ヘリアーネの奇跡」よりも素晴らしいと思う。それで組曲を通して聴けば、一つのソナタ形式と解釈できそう。なおかつ、アルバン・ベルクのオペラのように作品は、シンメトリックに構成されている。圧巻の一言であり、これを聴いてしまうと、シンフォニエッタ交響曲嬰へ調はもちろん、あのヴァイオリン協奏曲までが駄作のように思えてしまう。

そして、ジョン・ウィリアムズ
Between Two World以上に、前衛的でありながら、歌心もしっかりあって、響きは独特な透明感に満たされ、時に甘美な調べ。
それは、未知との遭遇。魅力が抑えられてしまっているのであるが、組曲で。

Close Encounters Of The Third Kind Expanded Soundtrack Suite (John Williams)
未知との遭遇は、ジョン・ウィリアムズが最も好きなサウンドトラックだと述べているが実際に聴いて納得した。
ポーランド楽派の前衛音楽のようにクラスターの嵐あり、いわる無調の場所もかなり多い。
しかし、なんという調べであろう。ダッラピッコラのように、ヴェーベルンの音楽が持つ色彩感・透明感そのままに、メロディがある。ジョン・ウィリアムズが手掛けてきた映画音楽のような調べもある。そこには、調性と無調性の理想的な融合・統合された姿がある。これは、私の理想に限りなく近い。こんな共存の仕方をしている人を私は、まだ知らない。メロディや和音での類似は結構あったりするのだけど、こうしてまとめあげる力は、天才の域だと思うのだ。スター・ウォーズ ジェダイの帰還のエンディングではサンバのリズムを使ったり、一時期、ジャズ・ピアニストを目指していた影響で映画音楽でジャズを取りいれたり、ロックもしたことがあり、菅野よう子と同じで書けないものは、ほとんどないと思う。菅野よう子のように、元ネタとなるメロディ、和音はたくさんあるのに、自己主張すると不思議と納得できる点も似ている。映画音楽で、ジャズの影響が入ったフーガもしている。知るのが遅すぎたけれど、ジョン・ウィリアムは凄い作曲家だ。未知との遭遇のようなことをしたら、天才、神と私は言いたい。そして前衛音楽だからという理由で否定に走るような方にこそ、こうした調べを聴いてほしい。前衛だから、悪いのではない。すべては、使い方次第だと私は断言したい。ジョン・ウィリアムズもマーリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコから作曲の手ほどきを受けた時に、無調音楽の作り方は学んでいるし、師匠同様、変わった編成の協奏曲も手掛けている。たとえば、チューバ協奏曲など。楽器の鳴らし方を極めているため、演奏者からの人気は高いとのこと。純音楽で、未知との遭遇にある意味近いのは、ヨー・ヨー・マのために作られ、実際にヨー・ヨー・マによって初演されたチェロ協奏曲。調性がない場所もあるけど、驚くほどメロディアス。劇伴メインで、純音楽も手掛け、基本は後期ロマン派だけど、演奏効果上良ければ前衛もありという姿勢はコルンゴルトの後継者に思えてくる。


John Williams - Cello Concerto - Yo-Yo Ma 1

John Williams - Cello Concerto - Yo-Yo Ma 2

John Williams - Cello Concerto - Yo-Yo Ma 3

John Williams - Cello Concerto - Yo-Yo Ma 4