Allan Pettersonを聴いてみる

近場で借りられる場所がないのでYoutube、ニコにて視聴。不協和音の解放でみんながイメージするいわゆる調性のない音楽ではない。メロディーはしっかりあるし、そのため聴きやすいと思う。いわゆるホラー音楽的な作りはしていない。バルトークが好んだ調性音楽でもない。ブリテンのようなモードも交えた転調とも音楽におけるユーゲント・シュティールのようなモード、ポリ・ハーモニー、ポリ・モード、部分的無調を自由に使い切ったものでもない。ショスタコーヴィチシベリウス 交響曲第4番の重々しい雰囲気が似ていると思う。今だからそう思うのだけれど、全3音=増5度音程=減4度の嵐なのだろうか。リズムも非常に闘争的かつ激しい。佐村河内守氏の音楽は、ここでも引用があるように思う。しかし、氏は、アラン・ペッテションは聴いたことがあるのだろうか。かなりマイナーなため、さすがに、コルンゴルトやシュレーカーと比べてもマイナーだと思う。下記のサイトの解説を見るとわかるのだけれど、両者に共通するのは、ありとあらゆる苦しみと絶望を経験しているということ。
クラシックのデス・メタルの名に相応しいといった主旨のレビューは、1年位前によく観ていて、私は、この作曲家の曲をいくつか聴いた。
ペッテションが、WEB上では有名な解説だと思われる。
クラシック史上、最も暗く恨み節に満ち溢れた音楽だと言われる。プロットのカオスぶりは、マーラー以上と言う声も。
一応調性ありなのに、響きは、前衛音楽に近接する。にも関わらず聴きやすいのは、ザクエンツやオスティナートがあったり、くり返しの影響が大きいかもしれない。

ニューグローヴ音楽大事典によると、

交響曲第9番は、荒々しく複雑な爆発へと至る不協和なクレッシェンドと民謡のような単純なパッセージの間を行き来する。終わりに勢いがつけられている。最も個性的な特徴は半音階的な3和音和声と複雑な打楽器のパターンである。
10番は、9番よりも濃密で音楽的。この時入院。病院にいることを「死へのトンネルに置かれた残酷なまでの孤独」こういった状況から全く離脱した精神性を示している。作品の根底には、圧迫されたり見捨てられた人に対する深い同情がある

(原文と文章の流れを一部変えたり、言葉を省略している)

WEB上での解説と全然違う点は、圧迫されたり見捨てられた人に対する深い同情には触れられていない点である。必ずしも恨み節しかないといった記述もない。


J.S.バッハベートーヴェンシューマンを好んでいたと言う。
基本的に、病んでいる人間にはお勧めしない。その上で言えば、言葉で形容しがたい闇を知った方ならば真価が解るに違いない。去年聴いたときには、かなり辛かった記憶があるのだけど、佐村河内守 交響曲第1番 "HiROSHiMA"で3全音に慣れたからか、何の苦も無く聴ける体質になってしまったらしく、今楽々と聴いている。慣れは改めて恐ろしいと思う。氏は小室哲哉とはまったく違う点で、日本人の耳を教育しようとしているのだろうか、ということを今思わず思ってしまった。佐村河内守 交響曲第1番"HiROSHiMA"のコラール以外を聴いて感銘を受ける方なら、きっと惹かれるところがあるに違いないと思う。今回選んだ作品で聴きやすいと推察される作品は、交響曲第16番。完全に調性音楽になっているところがあるし、今聞いてみるとジャズ色を排したジョン・コルトレーンのようなサックスが響いて聴こえてくる。サックス協奏曲風。遺作のヴィオラ協奏曲は、それよりは聴きづらいかもしれない。10番,13番のフルは、ニコでしか聴けなかった。