佐村河内守関連のコメントに関する注意書き

今もアクセスが多くコメントが多い佐村河内守および佐村河内守関連記事

記事によっては、Facebookで10に及ぶいいね!等、ご愛読を非常に嬉しく思います。Facebookのみにここでは絞りますが、私が敬愛するブロガーでもこれだけつけられたことはありませんでしたし、これは、もともとディクショナリーサイトとして立ち上げられたはてなの恩恵も非常に大きいでしょう。Googleは未確認ながらYahooでは、コロンビア、Wikipediaの次で来た時もありました。今でも個人ブログではトップにあり、10件以内にいます。

さて、想像していたことではありますが、名無しのコメントが来たことが直接の契機となりますが、ステハンもさることながら、その音楽性を語る際に、通り一辺倒に終わることが非常に多かったことを悲しく思います。
具体的には、今回のスパム削除した名無し氏が典型であった世界最高の天才とだけ述べて去る者。
最初の頃、コメントを頂いた方への反駁となってしまうのですが、現代音楽作曲家はロマン派的な長大な作品を構築する能力が皆無というコメントにも、今はかしげたりもします。どうしてかと言うと、論理的に組み立てるでいえば、佐村河内守に間違いなく劣るものの、映像音楽作曲家には、間違いなくこのタイプの人間がいるということです。この場合も、金に魂を売ったとして捨てられていく事例は非常に多いです。世界大戦間期に、オペラ・映画で活躍したコルンゴルトがその著名な例であがりますし、武満徹が映画音楽に手を出したことについても、そのことでいぶかしげられたりといった例はあるようです。そうした事例を基に、目新しい作曲技術にしか目がいかないどうしようもない評論家たちに、アカデミズムが支配されていて、結果的に表に出てこなかったということでないかと考えています。
それでも、アルヴォ・ペルトグレツキのように、非機能性和声のなかで、澄み切ったコーラスから切り口を見出した人たちなどは、日の目を見たという現実があったりするわけです。
また一代で終わりかどうかは、その後に続く者たちがでるか否かでしょう。早計に結論づけることはできません。しかしなお、これほどの知性と感性のバランスの取れた作曲家を、私は知りません。その上で、佐村河内守は現在世界最高の天才の一人と結論付けるのは、極めて真っ当だと思います。そのほとんどが19世紀末までの音楽技法で、直球で勝負してモーツァルトブルックナーベートーヴェンを乗り越えた、どんなに少なく考えても同格の偉大なる作曲家だと私も心の底から思うファンであります。

前衛音楽の誕生については、かのアカデミズムとりわけ評論家の誘導があまりにも大きいと考えますが、曲のオリジナリティを求めていった一つの結果に違いないし、それこそが未来の音楽と考えたのは、やはりファシズムと言った圧倒的暴力とそこからの解放、ナチスが、ヴァーグナーの音楽を悪用したこと。物語性のある音楽の否定と言う流れは、この辺りで徹底的になったと考えます。そして、ヨーロッパの没落、荒廃から来るものだったのではないでしょうか。私は、その世代とのかかわりが非常に少ない、20代の者ですが、そう考えます。

私の持論としては、前衛音楽の手法と言っても使い方次第だと思います。
例えば、

Close Encounters Of The Third Kind Soundtrack Suite
映画「未知との遭遇」BGM.クラスターも入っているけれど、そういったセクションでも歌心は決して失ってはいません。



まさにヴェーベルンの影響を受け、そのひんやりとした響きは影響を受けながらも、アルバン・ベルク以上に非常にメロディアス。この曲のキラキラ鳴るチェレスタや鉄琴の調べ。佐村河内守 交響曲第1番第2-3楽章で似たような和音や楽器の使い方があるはずです。また弦楽四重奏曲第1番にも。こちらは、バルトーク弦楽四重奏曲第4番の方が、関連性がありそう。

ショスタコーヴィチ ヴィオラソナタ

D. Shostakovich : Sonata for Viola and Piano 1st mvt
この曲は、アルバン・ベルク白鳥の歌となったヴァイオリン協奏曲の冒頭とメロディが酷似していて、一応ハ長調となっているものの、極めて調的な十二音技法を用いながら、事実上ハ調と言えるかどうかの調性で、どんどん転調する関係で、調性はほとんどないに等しい調べ。それでも、ヴァイオリンを聴けばとてもメロディアスであり、ピアノの躍動もしっかりあります。この渋い幽玄かつ幻想的な、正気と狂気の狭間にいるような響きがとても美しくそして高貴でもあります。

最終的に、自由とオリジナリティを求めた結果としてのTPOをあえて無視した上での脱線であり、新しい技法以外に価値を認めなかった評論家たちがその流れを形作ってしまった。そしてそれが、ヴィーン世紀末以降戦後の芸術音楽の悲劇ではないかと思うのです。

ヴィーン世紀末の作曲家は、ユダヤ系、映像音楽に魂を売ったといった理由で消されたけれども、偉大な作曲家たちでした。後期ロマン派のスタイルだった方々も。それを知っているから、20世紀はいい音楽はなかったとは言わせまい。ただ、忘れ去られて、亡くなられた方々が多いだけ、ただそれだけのこと。ヴェーベルンがヨーロッパ音楽の結節点であるように、コルンゴルト、シュレーカーと言った方々は、保守的であっても、地理的また歴史的に見ても、ヨーロッパ音楽の結節点と言える方々ばかりです。技術も非常に高いし、メロディメーカーでもありました。

これからも、純粋な愛好家のコメントには丁寧にごあいさつをしたいと思います。しかし、一言言って立ち去るようなコメントは差し控えて頂きたいと思います。世界一を語り合うなら、歴史や深いバックボーンを踏まえての議論をしたいと考えています。

また、そういった観点でいうと、バルトークアルバン・ベルクショスタコーヴィチ経由でトーン・クラスターまで用いていそうなまだ全聾になる前の、最初で最後のバイオ・ハザードのサウンドトラックのフルオケ曲が気になっています。この辺りを理解することで、佐村河内守が、どのようにして前衛音楽と折り合いをつけていたのかを、率直に知りたいと、そう思っています。

ひねくれたファンだと思っていただければ幸いです。