ブルックナーが聴きたい

昨日から今日にかけてブルックナーを聴き倒したくなってきた。
なぜかわからないのだけど。
私自身は、ニート前夜の2009年1月に、ブルックナーの魅力を知った。
中学2年の頃、私は、エアリフ・インバル指揮ケルン放送交響楽団がレコーディングした交響曲第8番第1稿で初めて聴いた。
何度も理解しようとして、挫折に終わったと、記憶している。

今現在暮らしている街の中央図書館で、ブルックナー交響曲第8番第2稿 カール・ベーム指揮ヴィーンフィル演奏のライブ音源で初めて大好きになった。
巨漢ぶりとは正反対の小心者、怪行奇行を数多く残した、農民気質そのままの、19世紀最高のオルガニストにして、名教官。後輩指揮者に拒絶されるたびに楽譜を改訂して、多くの初演では指揮者に勝手に改訂された。そんな人物像とは似ても似つかない、独立独歩を地でいく力強い歩み、アルプス、深遠な夜空、宇宙を思わせる雄大なスケール感、そしてヴィーンフィルのまろやかで透明感溢れるホルンに圧倒された。
その後、アーノンクールフルトヴェングラーも一時期よく聴いて、今でも好きなのは、カラヤン指揮最晩年ヴィーンフィルライブ、ジョージ・セル指揮クリ―ヴランド管弦楽団セッション録音、スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケンカイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団ライブ録音が好きだ。

その頃の記録が、Bruckner Sinfonie NR.8

カラヤン指揮ヴィーンフィル演奏 1979 ブルックナーがオルガンの下に眠っているオーストリア リンツ郊外聖フローリアン修道院でのライブ

最晩年のカラヤン指揮ヴィーンフィルライヴ。この映像はDVDで手に入れたいと思っている。金管のファンファーレが神々しい。この曲が生まれた頃、交響曲をオーケストラで聴くことは、一種の宗教体験であったと言う。そんな言葉が良く似合う。金管は、軍楽に思えてくるところがある。この曲の隠れた主役は、ホルン・ヴァーグナーチューバ、次いで金管全般。ホルン、トロンボーン、チューバはかなり早い運指を求められるし、ホルンは鳴りっぱなし。メロディーの要はストリングスだけど、神々しさ、ハーモニーの要はホルンだと思う。

ジョージ・セル指揮、クリ―ヴランド管弦楽団のセッション録音の第4楽章。演奏は、コチラの方が好み。

この年の暮れに、ブルックナー交響曲第9番が好きになる。
当初は、シューリヒト指揮ヴィーンフィル演奏が好きだった。それ以外でいいなと思った演奏は、スクロヴァチェフスキ、サイモン・ラトルとヴァント指揮ミュンヘン・フィル演奏、ベルリン・ドイツ交響楽団演奏以外は、すべてヴィーンフィル。1990年代ザルツブルク音楽祭での小澤征爾ライブ、1970年代のカラヤンライブ、ジュリーニアーノンクール。第4楽章の補筆完成版は、サイモン・ラトルの前はボッシュ指揮アーヘン交響楽団で聴いた。
そして、私が、仕事廃人だった頃、この曲に背中を押されたことが忘れられない。


これは、ジュリーニ指揮ヴィーンフィル演奏を。この演奏は、第1楽章に30分近く、第3楽章が30分以上のスロー演奏。このテンポで、ゆっくりと歌いながら、乱れないアンサンブル。そして時には明るくまろやか、時には暗くくぐもったいぶし銀の音色に変化していくヴィーン・フィルの音色がとても好きだった。今は、スクロヴァチェフスキ指揮ミネソタ交響楽団演奏のセッション録音がとりわけ好きだ。



この第4楽章は素晴らしい。技術点はさておき、モーツァルトマーラーコルンゴルト佐村河内守に決して劣らない。その雄大さ、力強さ、メロディの重なり合いは、今もってブルックナー独自のものだと思う。


全体の2/3がホルンのアンサンブル。とは言え、世界最高峰のWien-Hoerner&Art des Messings
素晴らしい。

ラデク・バボラーク率いるチェコ・ホルン・コーラスも素晴らしい。