おすすめのブログより、学生部に向けて

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成人の日の思い出 (式典と幹部会、二つの苦行に耐えて) - humanite-ユマニテ
対談集読了への道のり
"知性の勇者"学生部に望むこと - humanite-ユマニテ


去年の12月から始められた方のブログです。
簡潔明瞭にまとめられて読みやすく、私が普段から見ているブログの中でも、最大にリスペクトしているブログ1つです。(もう一つは、創価王道)


いくつか心に残った点として、まず対談集の話からです。
私が今まで読了した対談集は、
アナトーリ・A・ログノフ『科学と宗教』
アリベルト・アナトーリエヴィッチ・リハーノフ『子どもの世界』
マジッド・テヘラニアン『二十一世紀への選択』
デイビッド・クリーガー『希望の選択』
ヘイゼル・ヘンダーソン『地球対談 輝く女性の世紀へ』
ヴィクトル・A・サドーヴニチィ『新しき人類を 新しき世界を』
アレクサンドル・セレブロフ『宇宙と地球と人間』
リッカルド・ディエス=ホフライトネル『見つめあう西と東』
ジョン・ケネス・ガルブレイス人間主義の大世紀を』
アーノルド・J・トインビー『二十一世紀への対話』
モンコンブ・S・スワミナサン『「緑の革命」と「心の革命」』
ドゥ・ウェイミン『対話の文明』
ベッド・P・ナンダ『インドの精神』
ロケッシュ・チャンドラ『東洋の哲学を語る』
ミハイル・S・ゴルバチョフ『二十世紀の精神の教訓』
ブライアン・ウィルソン『社会と宗教』
ヨーゼフ・デルボラフ『二十一世紀への人間と哲学』
ジョーギーン・ツェデブ『友情の大草原』
ハービー・コックス『二十一世紀の平和と宗教を語る』
ヘンリー・A・キッシンジャー『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』
この中には、私が、池田先生からいただいた宝物もあれば、潮、灯台、パンプキンの連載で読了したものあります。連載で読了したものは6割に及びます。私が、『21世紀の対話』を読んだのは、2004年の10月頃、大学受験へのモチベーションがあがらなかった私が、モチベーションアップと何か充実感を得たくて読んだのがキッカケでした。連載で読んだ本は、幼い頃に読んだものも多く、これから改めて研鑚して参りたい。本か薄ペーストお金がないのがネックですので、はやく、職をつけて、一人で暮らせるようにならないといけませんね。

『"知性の勇者"学生部に望むこと』
印象に残ったところは、

わが青春をかけて

「学問」の探求を!

「信仰」の実践を!

この両輪に生き抜く

師弟不ニの英才たれ

【大学新報2009年1月号に掲載された「若き指導者へ」】

広宣流布といっても思想、哲学を残すしかない。それは学生部の君たちに託すしかないんだ。広宣流布は思想戦だ」 (70年代、言論問題当時の池田先生の発言)

「最大の緊急事ともいうべきものは、現代に耐え、現代を導くに足るだけの哲学の樹立であり、その基盤をなす真の宗教の確立であります」 (1973年7月に行われた創価大学での記念講演「スコラ哲学と現代文明」

【池田先生と学生部より】

さまざまな文化や個性の多様性は尊重されるべきだと私は考える。それは争いの人類史が訴える教訓であるし多様な文化や個性の触発は、新たな文化を創造するダイナミックな契機にもなり得るからだ。

自閉する心に穴を開ける作業。それは忍耐強く漸進的な「対話」である。

民衆の幸福、世界平和を追求する熱誠が、対話を通じ、差異を超克して共感を生み出していく。先生の行動こそ、現代が抱える難題を解く鍵なのだ。

京都大学4年・宮本将和さん「論陣――新時代を築く勇気の対話」より】

――言論の力を磨こうとしている学生たちに期待することは何ですか。

大切なのは「どう書くか」という技術論ではなく「何を書くか」です。人々に何を伝えていくかこそ、重要なのです。

そのためにも自身の基盤となる哲学を徹底して磨いてほしい。どんなテーマでも、明快に展開していける「思想の力」こそが「言論の力」なのです。これは学生時代から地道に磨いていかなければ、一朝一夕では身につきません。

むろん、職業としてペン1本で時代と社会を変えていこうという気骨のある青年が陸続と出てきてほしい。世界を変えていくのは「言葉の力」なのです。

【ジャーナリスト・東晋平さんインタビュー「なぜ『言論』が大事か?」より】

先日、池田名誉会長とトインビー博士との対談集『21世紀への対話』を再読了しました。

本書には、多種多様な文化を"人間の立場"から捉え直し、人類共通の法則性を見いだそうとする「文化人類学」の側面があると思います。名誉会長と博士に共通していた関心事は、「人間の尊厳をいかに守るか」という点にありましょう。

互いの文化を深く理解するためには、人間の尊厳に対する畏敬の念と、相手から学ぼうとする謙虚さが求められます。

次元が違いますが、私自身、教育者として、学生や信仰を持っている方など、自分と立場を異にする人と接する際には、"新たな視点を開こう"という思いで臨んでいます。

自分と違う意見に耳を傾けることによって、より大きな自分を築くことができるからです。

【識者は語る 学生部への期待の声  九州国際大学元学長(東洋大学名誉教授)竹内良夫氏より】

確かにこうした角度は学生時代にこそ必要なのですが、さらに言えば、それを生涯にわたって手放さない、あきらめない人となっていくことが重要でしょう。

そうした観点から、私は学生部の皆さんに提案したいと思います。

日々の研さんの成果を、私たち男女壮婦に積極的に語りかけてほしいのです。

私たちに対話をもって語りかけてほしいのです。

民衆である私たちと対話することで、真の対話力をつけていっていただきたいのです。

民衆を救い、民衆のリーダーとなっていくからには、絶対的に民衆と、民衆とともに語る中で真の「言葉の力」をつけていく必要があるからです。

あなたたちが予想しえない、得がたい何かが必ず見つかるはずです。

その時を楽しみに待っています。

対話は、あまりしてこなかったかもしれません。他所からきながらも、座談会には参加し、この1年間は、ある時は司会、ある時は御書講義(いつも研鑚不足を痛感)し、ある時は、体験・決意をいい、点数をつければ、そんなに悪くはないかもしません。

しかし、対話から生まれる共有という点では、まだまだであったように思います。

自らの宿業といってもよい、コミュニケーション能力の欠如や、人間不信がまだ完全には抜け切れていないこと、これらをまだ克服していないから顔をのぞかせる何か。

実際に、ラインのメンバーに『このブログを通して普段何を考えているのかようやくわかった。』と言われたことがあるほど、会話によるコミュニケーションが苦手。
具体的には、一方通行になりがちなこと、1度スイッチが入ったら止まらないこと(これは短絡的・衝動的な性格と関係がありそうです)、話が飛び過ぎたり、話の読み違いも多いなど、KY行為を犯しやすい傾向にあります。
建前が読み取れないかわりに、文字通り読んだまましか受け止められないことが幸いし、メールや掲示板のやりとりなどは、そうした短所が現れにくい傾向にありますが、流れに合わないことをする傾向はやはり出ていますし、感情の起伏が激しいときや注意力が散漫しているときなどは、誤字脱字がとても多い傾向にはあります。大体1記事あたり、1-2文字ほどミスがあることに数日経って気づいている私がおります。また、解読不明な難しい言葉遣いになりやすい点もまた然りなのです。


これらは、これから、信心で勝つ中で乗り越えて、共有をドンドンできる境涯にして参りたい。
そのためにも、1日1日を充実させて参りたい。



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