失敗の連鎖

2009.2.19

道を迷ったときは、最近ケータイ任せにしておりましたが、今日行った場所は、ローカルなところからか、一発で表示されれず、少しずつ探り当てるものの、見事に失敗。好きなことに対する集中力はあるのに、他のことに生かせない・頭の切り替えができない自分がもどかしい。反省の唱題をあげる。

いったん話は変わりまして、今夜はJ.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集第1・2巻を聴いておりました。聴こうとしたキッカケは、バッハの曲の中でも、特に後世に影響を与えた傑作であったこと。また、私が知り合った方でこの曲がとても好きな方がおり、どういった曲か気になったからでした。第1巻は、ハ長調のプレリュードが、聴いていてBGMでよく流れていた曲であることに気づき、メロディーの良さに酔いしれました。第1巻に比べるとマイナーな第2巻はハ長調ニ長調のプレリュードが心地良かったです。バッハの明るい曲は、あまり聴いたことがなかったのですが、これはこれでいいものですね。私自身が、ペシニストである反動からか、落ち着いた明るい曲が1番落ち着きますね。たとえば、ベートーヴェンの第9の第3楽章、元気のよい楽曲であれば、モーツァルトのジュピター、シベリウスの第6などです。平均律クラヴィーア曲の訳の平均律は間違いでとの説が有力とのことです。


Wikipediaに詳しく書かれております。今回聴いた演奏は、第1巻はグレン・グールド、第2巻はエドウィン・フィッシャーがそれぞれ演奏したものです。個人的には、今度、当時bの調律で、工事の楽器に合わせてチェンバロで聴いてみたいですね。当時の純正律に近い腸で聴くと、腸による違いがよりハッキリとして、腸によって色や性格が大きく変わると耳にしたからです。私が、ピアノよりも。チェンバロの音色の方が好きだというのもあります。もちろん、ダイナミズムは、強弱がつけられるピアノの勝ちですね。ニューグローヴ音楽大事典には、♯・♭が2-3ついている楽曲は、平均律の方が独特な華やかさがあり、純正律よりもよかったとの記述があり、ニ短調ニ長調平均律の方が良いかもしれませんね。第2巻のフーガはフーガの技法と並ぶ作品といわれておりますが、フーガの技法のカノンとパレストリーナの聖歌の方が好きな私にはなじめませんでしたね。


さて、人1倍ペシミストであり、ボヘミアンである私が生きていくのは改めて辛い1日であることを痛感致します。感傷・短絡・衝動的になる生命に負けた気がする1日でした。


以前読んだ本の中で、『勝つためには、負けないことだ』との言葉がありました。
辛いときだからこそ、忍耐強く!!断じて負けるな!!時にはデクノボーと呼ばれることもあるであろう。デクノボーは、宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てきますが、このデクノボーとは、不軽菩薩のことであり、最高のほめ言葉でもある。負けずに耐え抜いて、最後に勝てば良いではないか。改めて決意す。


苦しい日が続きますが、そんな日々にも感謝の思いで過ごせる人間になりたいと、私は思います。


パレストリーナの曲を聴きながら、私は安らいで寝るのだ。
今夜は、ゲーテ著のファウストが第2部に、こときれる際の言葉のオマージュで閉めることとします。



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