久々の書き込み。今を乗り越えるために、そして余談を

P.S.1014.10.14

これがサイトウキネンフェスティバル2005におけるグレの歌上映ハイライト。舞台があまりよくないとの意見も。アルノルト・シェーンベルクセンターのアカウントからの配信のため、公式ととらえていいだろう。

P.S. 2014.10.11
現状に食らいつく過程で、自分が何をどうしていきたいか忘れてしまうタイプとも書いていて後日、猫の恩返しにおけるバロン男爵の名言「君は君だけの時間を生きるんだ」、千と千尋の神隠しにおけるハクのセリフであったと記憶するが、本当の名前を忘れてはいけないよとリンクする。
つまり、最初の本来の目的を忘れてはいけないよねよいうこと。
傍観していたブログの顛末に触れていなかったので、ここで一言。再出発おめでとうと賛辞と拍手を贈りたい。その過程で影の支えとなった方々にも、善きかな善きかなと拍手と賛辞を贈りたい。
グレの歌に関しては2005年サイトウキネンフェスティバルにてセミステージ形式で上演されたとのこと。演奏はいまいちだけど、歌・舞台は良かったとのこと。また背景でイメージスクリーンを映していた、 王立モネ劇場管弦楽団演奏マーク・ウィグルスワース指揮ともどもBDは出ないだろうか。


以下、追記前原文。
意識はややおぼろげ。それでも書かないと頭の整理をする時間を失ってしまうので書いてしまおうと思う。
そして睡眠学習ができたら、大幅加筆修正予定である。きっといつもより誤字脱字も多いことだろうから。

なぜ書けなかったか。その後の9連勤期間中に大事件が身の回りに勃発。そのことに忙殺されたことと、たとえ整理のためとはいえ、もし見られたら私自身が村七分になる未来が確定していたため、書いた文章が見られて付きまとわれる可能性を今回は考えざるを得なかったこと。そして頭の整理があまりにもできておらず、綴る体力もなかったため。

といいながらある炎上には首を突っ込んだことに気付いた方がいると思う。その発端となるブログは存在を知っていたが、傍観していた。私が注目しだした時は、敬愛してやまない論者2名、私自身軋轢があるものの素晴らしい文章を書いた方が2名。その後もブログ削除後ROMから急きょ書かれた方数名、みな素晴らしい文章でただただうなづくばかりであった。
私は、実際にあったこの世界では著名といっていいであろうある方には、三猿運動の反故に苦言を述べた。そして直に見ていないのであるが、その後の動向から訂正する意思がないことに閉口した。
もう一人は、いつも一言余計な言葉で顰蹙を与えているある御婦人である。おせっかいを承知で、崇峻天皇御書も引きながら、相手の修羅界を湧現させてどうするのでしょうかと問うた。
その後の反応に対しては、共に誠に不誠実な回答ありがとうございましたとしか言いようがなかった。
相手のブログにはその旨を書かなったのであるが、それは書いても拒絶されることが目に見えていたためでもある。

この事件は、私がこの時向き合ったリアルの出来事とも重なるところがある。
今でも、日本のコミュニティの生まれ方は、とことん風通しの悪い村だなと思う。
異質なものを排除したりする姿勢や、誰かに監視されているような。監視はお店仕事なので当たり前であるが、上に立つもの以外に、常時見られたり。不正陰口は嫌う一方、あることをする際には、誰の目に入らないところで、痕跡をできる限りなくして、なかったことにしてその事実を言えない。さすがに、特殊なところもあるが。

これからブロ友にも相談をしていこうと思うのだけど、今回は幸運なことに座談会と時期が重なった。そして相談をした。これはプラス・マイナス両方に働いて、今はマイナスに働かないようにしながら、変化があった時にはできるよう連絡を交わしている。マイペース過ぎるのが私の悪いところでもあるが、今回は普段よりは連絡をしたりしている。
何があっても護られるまでと確信するまで祈ること。身を守るための抵抗、当然ミス・抜けをなくすことを再確認。
昨夜は更に相談した。関係ないことを含めて長時間になってしまったのであるが、それはウラシマ効果のプラス進行が起きたためと思い、感謝。
ここで露骨な業が露わになった。
もちろん、私の持っている障害は、他覚できても自覚できない場合が非常に多い。そのことで人一倍傷ついてきた。それ故に人一倍、自信や自尊心といったものが欠落してもいる。
随分以前、天狗になるなと言われた意味も見えてきた。
例えば、私は変に我慢強い。それゆえに、自分がいないと回らないといったような…姿勢を指摘された。
これに関してはまったく自覚ができなく、なぜ自覚できなかったかこんな示唆を受けた。
それは、私の心があまりにもまっさら透明であり、染まってしまうことに気付けない。ミイラ取りがミイラになってしまうような。現状に食らいつく過程で、自分が何をどうしていきたいか忘れてしまうタイプとも。そういわれてみれば、ずばりその通りで何も言葉が出ない。これは、なぜ、どうしてと問い詰められると答えられない傾向とも似ている。核があるようでない。こうありたいと思っているにも関わらず、はっきりしたイメージが作れずにどうしたらいいのかわからないといったところと通じるのはないかと考えた。それは、あの症状とも重なるところでもある。

そして、これからもずっと天真爛漫なところは変わらないんじゃないかと言われた。これも耳が痛い。実際に、数年ぶりにあっても変わっていないと言われるさまを象徴しているところだと思う。今年の10月3日で28になったのだけど、容姿はマイナス12歳くらいにはよく見られるし、知能の凹みに至っては中学生なみとも解釈ができ、エゴグラムでも天真爛漫に関する数値は高く、エニアグラムはタイプ4であり、家族で言えば典型的な末っ子である。私は実際に末っ子なのであるが。

また、本質的に人間不信であることも見抜かれた。相談に行き着くまでに3週間。そこに行くまでのやり取りで見抜かれた。本質的に頼りがちにも関わらず、歪んだ自己愛性が見えるといえばいいだろうか。今の職場でも随分と言われたのであるが、可視化できたのはこれが初めてである。

その他、疑問・疑惑はすべて消えた。今の職場周りで言えば、一部が手におえない疑心暗鬼になっていて、それが全体を覆う不協和音になっていること。考え方がそもそも違い、合一に至らないことであったり、それが今の現状を生んでいることを再確認できた。自分を責めない、かつ人のせいにしないこと。
もちろん現職場を卒業するまで貢献し続けるのは変わらないが、相談できるところとつながり、次の職場を年内で勝ち取ること。それでも去らない者の顛末はあえて考えないこと、信心で乗り越えること等再確認。
その後は、雑談である。定期公演にいけなかったこと。思わず固まったその方の過去のこと。ただ学生部の頃から、宿業を変えた同志の先輩方を見ているので、それで拒絶することはなかった。改めてすごいところにいることを実感する。最近ヘビーローテーション中のグレの歌を筆頭に芸術や、世間話が本題に混ざり入っていく。例によって私は、アクセル踏みっぱなしで暴走を幾度とした。人の話を聞けない悪い癖は変わらずで、この際だから矯正を改めて誓う。
身内の隠れニートにも話題は行く。自己評価の歪み、その方見て高すぎるのが原因ではであった。御当人と言い分が違うので答えは出せないが、見方としてアリと考えた。

リスタートの思いで、一日一日を見失うことなく駆け抜けたい。この5日間、胸中唱題をするに留まる負けぶりであったが、地区支部の同志、ブロ友、Twitter仲間に護られたことにありがとう。そのことに感謝して前を歩みたい。いいリコメが思いつかないので、まだ遅れます。リコメを書くモチベーションが上がらない時に書くのも失礼だと思うので。

最後に、グレの歌より太陽よ見よ "Seht die Sonne" で締めたい

この歌を聴くと、いつも女性は平和の懸け橋と思えてくる自分がいる。
この作品の後半は、途中ソリスト、コーラスすべて男声。まれにこの手前の語りで、女優を起用する場合もあるのだけど、多くは俳優、男性歌手。クラウディオ・アッバード盤では朝の訪れを歌う語りが女声なのでその感をより一層強める。
訳は転載可のサボテンの花ひらく 日本語訳のグアアの歌より引いた。
太陽が来る!
東の色彩の奔流の中のすべてが
我らに朝の夢の挨拶をよこす。
もうすぐ暗い水の上から
太陽がほほ笑みながら現れ
豊かな光の髪を
明るい額からまき散らす!

ここで余談を。
今年2月にオランダ、オペラプロジェクト上演があったようだ。
BDでないかな。

一応カンタータといえそうながら、所作のないオペラともいえる作品だからオペラ化したのだろうけど、このトレイラーの感想だと、個人的には、より往時のグレの城、湖畔、自然、森林を連想させるファンタジーな舞台にしていただき買った。ただヨーロッパ大陸部のオペラ座は、現代読み替えが主流なのでそれを求めるのは無理かな。
1分34秒でのホラーの合唱はしっかりホラーしているところは見るとよさげ。グレの歌の影響が強いコルンゴルト作品を得意としてるマルク・アルブレヒトの指揮ということもあって、演奏の好感度は高い。
そして太陽を見よの演出では、最後の混声コーラスを完全に天使として解釈している。

この作品の最後は、マーラーの千人より凄いかも。感動もの!シェーンベルクもやるなぁ。マーラー以上。天才だなぁ。調性音楽も超一流という声は多い。純正律愛好家でも、シェーンベルク浄められた夜」を調性音楽の終着点とみる人は多い。純正律愛好家は、シェーンベルクは調性音楽を誰よりも愛したとみているくらいだ。サイモン・ラトルも、この最後を、西洋音楽の歴史で最も美しく輝かしいもののひとつとして挙げている。オーケストレーションも、R.シュトラウスをベースに、ラヴェルドビュッシーのような効果を与えていることに驚く。とりわけダフニスとクロエの夜明けに引接する冒頭の前奏曲は。当時、ドビュッシーラヴェルを一切知らなかったというから更に驚く。後半は、シェーンベルクらしい、後のホラー音楽に近接するもの。とりわけ男声合唱と語りは。ウィーン初演で、シェーンベルクが唯一成功をおさめた作品にして、プッチーニのようなシェーンベルクのホラー系が好きな人は普通過ぎて面白くなかったとのこと。いつ聴いても感動する私の中でも数少ない作品の一つだ。