法華文化の展開
1週間程前に、都内最大規模の某書店にて立ち読みを致した際にたまたま立ち読みをした本です。
仏教芸術・仏教文化を考える際に、興味深い記述がありました。
今回はその一節を御紹介致します。
さまざまなその欲望を、正面から肯定し、それを造形美術に止揚する世界である。大胆にいうと法華芸術とは、現世謳歌の美の世界である。
【法華文化の展開 藤井 学 著】 P281 桃山の法華文化
なるほどと納得を致しました。この一節の前に、その当時の時代背景が書かれておりました。その内容は、応仁の乱以降、日蓮宗が急速に弘まり京都の町衆の半分が法華宗であったこと、また狩野家は、当時から今に至るまで日蓮宗の檀徒であることが書かれておりました。
創価学会で建立してきた、創価大学、牧口記念会館や東京富士美術館といった建物や学会歌の精神で思うことがあります。
そこにはいつも民衆のためがありました。
いいかえれば、哲学を持った人々の精神性・人生凱歌がありました。
創価大学の建学の精神の一つは「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」です。
学会歌「紅の歌」1番の歌詞の終わりは、「地湧の正義に 民の旗」
学会歌「人間革命の歌」のラストは、「人間革命 光あれ」
学会歌「勝利への歌」の2番の終わりは、「民衆のために世のために、あふれてやまず いつまでも」
学会歌「勝利への歌」のラストは、「ああ仏法民主の 新社会」
そして、創価大学、牧口記念会館、日顕宗こと日蓮正宗に寄進した今は無き建物・美術品もすべて、真の哲学を持った民衆の精神性を高らかに謳い上げたものではないでしょうか?
突き詰めるところ、一流の芸術・仏法を基調とした民衆の芸術は、知的に洗練された現世謳歌の美の世界ではないでしょうか。
今日から、思いを新たに、知的に洗練された民衆の現世謳歌の芸術を発信して参りたいと思います。
PS:さっそく読者から、指摘を頂きました。本の引用文にまつわるものです。『「空」の概念からすれば、欲望の肯定も欲望の否定もありません。明らかに見て「離れる」のが仏教の行き方であります。』事実、空の視点から見れば、固定化されたものは一切ありません。十界論でいえば餓鬼界を仏界に昇華すると捉えることができると思います。一念三千に関することも近い内に御紹介致します。
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