富士南西麓について思うこと 1

 第2次宗門問題が起きたのは、私が保育園に通っていたような頃。よって、当時の周りの記憶はございません。行った時のVHSのVTRを見る限りでは、第2次宗門問題が起きる前までは、毎年1回は行っていたようです。小さい頃から、かなり風変わりな読書好きであった私は、小学校1-2年の頃には、第2次宗門問題に関する本を読み、学会を破門した日顕精神分析を試みた本などを実はすでに読んでいるような少年でありました。お山と地図上の地名が一致したのは、高校以降であり、今思えばかなり恥ずかしい言葉の意味の取り違いをしたことも、今や懐かしい思いでの一つです。この頃には、理由もなく離れることとなったことは、理解していたでしょうか。日建の精神面の異常さは、幼心に憶えていたでしょうか。正本堂破壊も座談会などで触れ記憶したのが小学校高学年の頃でした。

 それから、随分時が流れ、大学生に。丁度3年前の2月、故郷に帰省する頃の話。当時人間不信からかなりの鬱状態であった頃でもありました。富士山の景色を見たいと思い、各駅停車の電車に乗り、八王子・松本経由で故郷に帰省しました。そして八王子から、夜明けの紅富士を眺めた時の美しさが忘れられませんでした。故郷の妙高山、松本・白馬から眺める北アルプスが好きで、富士山はありきたりの風景でありそれまで興味もありませんでしたが、その1回で、完全に虜となりました。韮崎まで、富士山が美しく見え、故郷までずっと快晴で、故郷ではなかなか見られない冬の妙高が見えて、最高の眺めだったのですが、富士山の虜となりました。

 その後、私にとっての、1番美しい富士山を探し始めました。個人的に、最も均整が取れていると感じたのが、南西麓。

 そして度々行く。近年はB級グルメで、話題になることが多いこの町。歯ごたえのあるあっさりととした焼きそばは最高。ドライカレー味を次ぎ立ち寄る時は、食べたいと思いますが、私の中では絶品でした。私が、これまで3回あげた撮影地は、南西麓にあるバブル崩壊後にできた住宅地。ここから眺める富士山は確かに美しかった。バスの中から見た紅富士は忘れることができません。上野郷、そこは寒気のするところ。景色が寒々しい。当然王子の景色は、資料の写真ですべて抑えています。現地で、坊主たちは、人のことを人としてみないという言葉を耳にします。まさにその通りの様です。桜も、故郷の夜桜と比べて生き生きとしておらず、中途半端にある者だから、チグハグな印象はぬぐえません。破門後に、経済崩壊を起こし、それで会社が倒産し、亡くなった例も耳にし、なぜなったのかをつぶさに感じました。しかし、富士山は美しい。まさに、国破れて山河あり。

 ここに立ち寄り、流れ星2度見る美しい夜あり、様々な姿を見、山の美しさに感動するなか、清流と濁流のぶつかり合いについて考察。ある時、お世話になった方と、宗門問題について語り合ったことがほぼ1年前にありました。「撲滅、だっかん」といった言葉も出て、弾んだものとなりました。濁流が生まれた原因は、御書にも書かれているとおり、まさに、内部の魔に食い破られたことでした。獅子身中の虫は撲滅していかなくてはならないことを改めて決意しました。似非科学の本を調べると、ピラミッド・チベットカイラス、富士山など、信仰の対象となりやすい形として、三角錐・四角錐・円錐があげられており、崇高な印象を与えやすい形ではないかとと、思うこともあります。このことについては、まだまだ研鑽が必要であることを痛感します。人生の最後は、清流tだくりゅうがひしめき合う地で、闘うと決めております。実践が、研鑽が足りない。よりせねば。苦しくとももう一歩踏ん張らなければ。負けじ魂で生き抜こう。この記事とプロフィールを読むと、私にとっての最終ラウンドはどこかは、気づかれるかと思います。それまで、魔を魔と見破れる力をつけて参ります。


 こうして書いていて思うこととして、やはり私の物事の感じ方・考え方はアブノーマル。どうすれば、プラスに使えるのか見いだせない私が情けないと思うことがあります。祈りにぶつけていこう。自分で自分を乗せていけるようになろう。



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