池田名誉会長講義 御書と師弟 法華経の兵法

御聖訓

なにの兵法よりも
法華経の兵法をもちひ給うべし
「諸与怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず
(四条金吾殿御返事 P1192)

ここからが本文です。

 「広宣流布のために、いかなる戦いも断じて勝ち取れ!何をおいても絶対に勝ち取るのだ」
 戸田先生は常々、厳しく語られました。
 自身に勝ち、人生に勝ち、邪悪に勝って、幸福と正義の大道を歩む―そのための「勝利の哲学」が仏法です。戦いは、断じて勝たなくてはならない。負けるのは創価ではありません。

 信心を根本にした絶対勝利の兵法―これが「法華経の兵法」です。一人も残らず全員が幸福・勝利の人生を!ここに法華経の結論があり、日蓮大聖人の願いがあります。

 「法華経の兵法に勝る兵法なし」であります。ただ一遍の題目にも、いかに大きな力用が含まれていることか。いかなる交付の戦いも、「信心」こそが絶対勝利のための無敵の「兵法」である。まず、こう決めきることです。


不幸の悪因を摧く
 この法華経の兵法で挑むならば、「諸与怨敵・皆悉摧滅」―もろもろの怨敵を、悉く摧き、滅した―との仏の金言が現実のものとなることは間違いないと断言なされています。
 この経文は、法華経薬王品第23の文です。あらゆる「怨敵」―一切の障魔を破ることができるという法華経の功力が示されている。
 怨敵とは、個人の生活・生命に即して言えば病魔・死魔など、自分を不幸にする働きです。社会で言えば、妙法を保つ人を嫉み、迫害する三類の強敵にほかなりません。
 そうした悪因を、ことごとく摧き滅していく。そして生命の根底から悠々たる幸福・勝利の境涯を開いていけるのが、「法華経の兵法」すなわち信心であります。


仏法証明の勝利劇
 戸田先生は、微笑されながら言われました。
 「我々の姿は、貧乏菩薩や病気菩薩に見えるが、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の菩薩なんだよ。人生の劇ならば、思い切って楽しく演じ、妙法の偉大さを証明していこうではないか」

 「広宣流布の闘士は、人間の王者である。この気概と誇りを持ち続けるのだ」
 これが、戸田先生の獅子吼でありました。

 
 社会の根本の大法則
 学会は最高に尊い仏の団体です。
 戸田先生は、よく青年部に「創価学会は大聖人に召し出されたのである。君たちの想像をはるかに超えた仏意仏勅の教団なのだ」と言われました。
 広宣流布を現実に推進する学会という和合僧の連帯を、甘く見てはならない。学会を甘く見ることは、御本尊を甘く見ることです。大聖人を甘く見ることです。学会を大事にすることが、仏法を護り抜くことにほかなりません。ゆえに、諸天から護られるのです。


 大聖人は、「兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給え。あへて臆病にては叶うべからず候」(御書P1193)と仰せになり、本抄を結ばれています。
 「兵法剣形の大事」―あらゆる兵法や剣術なども、その根底は妙法から出ている。丈夫である四条金吾に「妙法こそ、一切に勝つ根本なのだ」と教えていられるのです。
 仏法は即社会です。信心は即生活です。世間のあらゆる道は、妙法という大法則と相通じていると言ってよい。 健康になるための法則。
 仕事で勝つための法則。
 幸福になるための法則。
 平和に仲良く調和し、繁栄していくための法則。
 ―すべての究極が「妙法」である。唱題によって、仏の大生命力を湧現させれば、前進する「勇気」が出る。勝ちゆく「智慧」が出る。友を励ます「慈悲」が溢れてくるのです。
 「日々、題目を唱え、信心強盛に生き抜くことは、毎日、生命をダイヤモンドにする注射を打っているようなものだよ」と、戸田先生はわかりやすい譬喩を用いられました。


森羅万象は戦いだ
 人生は、一切が戦いです。
 

 要するに、森羅万象は戦いによって成り立っているのです。
 ゆえに、大聖人は「仏法は勝負」と厳命なされました。勝たなければ、幸福はない。勝たなければ、仏界の湧現もない。勝たなければ、「一生成仏」「広宣流布」もありません。


 大聖人は、金吾が無事であった勝利の要因を「前々の用心といひ又けなげといじ又法華経の信心つよき故」(御書P1192)よ教えられております。
 すなわち、1普段からの用心2けなげ(勇気)、そして3強き信心です。なかでも「強き信心」が根本であることは言うまでもありません。
 祈りとは、わが己心の「臆病」「油断」「慢心」を叩き出す修行であると言ってよい。どんな苦難にも負けない、いな、環境が厳しければ厳しいほど燃え上がる「金剛の勇気」を発揮して、戦い進むのです。


師弟不二で勝った
 人生は闘争です。本当の勝負は人生の最終章で決まります。ゆえに「勝って驕らず」「負けて腐らず」です。大いなる目的に向かって弛まず、忍耐強く戦い続ける人が最期に勝つ。
 「勝つことは明るく楽しい。笑顔が美しい。負けることは暗く、苦しい。故に人生は断じて勝たねばならない。勝ちゆくための信心であり、仏法だ」
 恩師の忘れ得ぬ御指導です。
 広宣流布のため、師と共に戦わせていただきたい。何としても、師に勝利を捧げたい。私は、そう祈り抜いてきました。この師弟不二の「心」で勝ちました。


 「法華経とは将軍学なり」
 御本尊と、師弟不二の信心に一切がかかっている。いかなる時代、いかなる事態に遭遇しようと、妙法の指導者の資格は、「法華経の兵法」を将軍学とするかしないかにあるのだ―と。
 私は関西の友に、勝利の要諦は第一に最高の祈り、第二に最高の作戦と最高の行動である、と語りました。


 「どんな作戦、行動よりも法華経の兵法、つまり信心から出た作戦、行動を用いる以外にない。それが最高の作戦であり、最高の行動となるということです。右往左往する必要はありません」


十界の衆生歓喜
 この法華経の兵法を「将軍」とすることは、現実社会の心を揺さぶり、自身の命からも、相手の命からも「仏性」すなわち幸福・勝利をつかむ絶対無限のエネルギーを引き出していくことにほかなりません。


庶民の心の中へ
 あらゆる人間を最高に輝かせ強く賢くするのが、仏法の将軍学です。
 庶民の心の中に飛び込んで、「ともに幸福になろう!「ともに勝とう!」という渾身の励ましを送る。そして、偏見や旧習の壁を打ち破って、民衆の栄光を勝ち開く。これが「法華経の兵法」です。



「善の力」を組織化
 「善の力を組織化」―重大な視点です。その最大の力である、仏の大生命力を引き出し、結合し、連帯させゆく運動が、私たちの広宣流布です。「法華経の兵法」です。友に励ましを送る学会の同志こそ、この兵法の偉大な実践者であられます。


一心不乱の祈り 
 誰が知らなくとも、師匠のために、広宣流布のため、一心不乱に祈り抜き、祈り切ることです。誰が見ていなくても、大聖人が御照覧です。自分自身の仏界が見えています。そこsに、諸天善神が必ず動き始めるのです。
 そして、「勝つことを千里の外に決せし者なり」とは、勇気と団結の行動です。これほど心強い、絶対の兵法はありません。
 御書は、大聖人が遺してくださった人類救済の「法華経の兵法」の指南書です。広宣流布「人生公を野一切の壁を突破しゆく「勝利の経典」であります。
 御聖訓を心肝に染め、正しく行じていくならば、わが生涯も「まさかが実現」の大勝の劇で悔いなく勝ち誇っていけることは絶対に間違いない。


君よ青年室長たれ
 この「法華経の兵法」は真剣勝負で戦わなければ相伝することはできません。真剣勝負で師匠に続かなければ継承できない「広宣流布相伝」であります。
 若き日以来、私は全ての戦いを「先手必勝」「電光石火」の指揮で勝ってきました。「先んずれば人を制す」―言葉は簡単ですが、勝敗を決する大事な一点です。
 
【2009.3.19-20. 聖教新聞

君よ青年室長たれを読んで、10万、100万の山本伸一を思い起こしました。池田先生は、今もそうした弟子の陸続の誕生を求めていると。何日も、生ける屍・目の輝きを失っていたのです。精神的にガクッときたことと、花冷えの中コートを着なかった日が2日あったことがキッカケで、肩が硬くなり、肩が硬く感じた日の夜に、風邪と喘息を併発。毎日(今日を除き)5-6はサイクリングかウォーキングは欠かさずしておりました。これほど「闘争圏外」が当てはまるのは久しぶりのこと。早急に頭をスッキリさせねば。今日、喉に給った痰をようやく出すことに成功し、ここ数日では、最も良好。まだ何か書かなければならないこともあるものの、今日はここまで。



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