富士山  そして、思索の日々


今回は、あえてどこの村かは、明示しません。景色を見れば、どの付近か、感づく方も多いこととと思います。
このエリアで、撮影する際に、構図を大変にする要素が何点かあります。
1つ、電信柱、電柱が邪魔になることです。夜になると光る大きい電信柱であれば、夜はアクセントになるものの(逆に昼は最悪)。電柱の地中化を進めて欲しいなと思いつつ(もちろん、財政上大変であることが明白なため、うなります)。もっともこの市の中心部では進めているようです。

 私は世代的に、往時の景色は、資料でわかる範囲でしか、知りません。今は、間違いなく、荒廃しているのだろう。とはいえ、あの頃も、そして今も、富士山は、気高く美しい。どうしたら、そうなるまで、歪むのか、そうなっていくことに気づけないのか、思いをはせながら、撮影。一部の車が雰囲気を壊すくらいアクセルを吹かせていたことも、ある意味印象的。


 人として腐りたくない、破邪顕正と、思いつつ。


 モーツァルトで更に調べたことを、アヴェ・ヴェルム・コルプスで高く評価されていることとして、極めて簡潔に凝縮して表現されていることが、あげられるようです。モーツァルトは晩年(最後の3年間)、ウィーンでは人気が落ちていたエピソードを耳にしていましたが、理由の1つとして曲が長いと評されていたようです。ベートーヴェン以降は、と絶句をしました。魔笛からリヴァイヴァルを果たしたようです。よく考えれば、ベートーヴェンモーツァルトの音楽を快く迎えたのはプラハ。ウィーンだけではなく、プラハにも行って見たくなりましたね。なお、モーツァルトの晩年の不人気の期間は、依頼主の要望よりも、モーツァルト自身の楽曲の理想や心情を表現した楽曲が多いようです。やはり、いつの世もそうした楽曲が評価されるのは遅いのでしょう。ジュピターは、生前演奏された記録がありませんし(パート譜などから、あったとする説もありますが、論拠に乏しい)。ベートーヴェンは、前期は古典派、中期以降はロマン派にカテゴライズされているようです。ただし、ベートーヴェンは、前期から後期に至るまで、古典派の形式を守り、表現はロマン派であるため(シューベルトブラームスよりも顕著であり、彼らよりも古典派の形式は固持)、古典派とロマン派の超克したと見る向きもあるようです。この考えには、同意見。なぜなら、フォーマットは後世の作曲家よりも古典派であり、自己の表現をしぬく姿勢はロマン派以外の何者でもないからです。
 さて、クラシックは、チャイコフスキーと20世紀のフランスの色彩的な音楽、ミニマル・ミュージック、純正律を全面に出した曲以外は聴き終え、取り上げたい楽曲は、一通り取り上げました。さて、ようやく精神的には落ち着きを取り戻し始める。スタートが出遅れた分、ここからの反転攻勢は、更に熾烈なものとなる、といってよいだろうか。あと、3日後に闘争開始をしようと、原がようやく決まる。完全に、やる気をなくしていた唱題にももう一度取り組もう。具体化は、3.17よりはできているのだから。嘲われて当然のスタートだ。これ以上、落ちることは、もう無いはずだ。さあ、ここから反転攻勢だ!!勝ち取るものは、大勝利!!それだけだ!!



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