ゴルトベルク変奏曲挫折、晩年のモーツァルトの楽曲を更に調べる+α

ゴルトベルク変奏曲挫折。何度も聴いたものの、今の私にはその良さが解読不能でした。J.S.バッハの鍵盤音楽の最高傑作と評されているものの、楽曲の多様性は鍵盤音楽の旧約聖書と評された平均律クラヴィーア曲集に劣ります。装飾的な変化はモーツァルトに劣り、ダイナミズムはベートーヴェンに劣る。なぜそう評されるのかがわからないという結論に到達。もう少し時間を経てから聴くことにしたい。

グラスハーモニカのためのアダージョとロンドについて調べていたら、面白いエピソードを発見。ここから先の引用は、すべてモーツァルト事典からとなります。

1791年、8月13日の『ヴィーナー・ツァイトゥング』には、次のような批評が掲載されていた。「それから、音楽の識者が皆次のことを確信するようなハーモニカのための作品が奏された。すなわち、ハーモニカはあらゆる楽器の中でも最も高貴な楽器であり、メランコリックで悲哀を帯びた感情よりも、むしろ喜ばしく、穏やかで、そして崇高な感情を呼び起こす楽器である。

アヴェ・ヴェルム・コルプスについても、実際に聴いて納得したエピソードがありました。

アンブロース「パレストリーナさえもこの前では深く感じ入るに違いない」と言わしめたほどの美しさ。

ただ、美しいだけであれば、パレストリーナ、今夜聴いていたジョスカン・デ・プレにも同じことがいえます。ここまで哀愁のこもった美しい曲を知りません。実際に、モーツァルトの楽曲の中でも最も美しい曲の1つに上げられます。

ちなみにジョスカン・デ・プレの楽曲はこんな響きです。

Josquin des Prez 'Qui habitat'

響きの透明感はパレストリーナの方が1枚上手でしょうか。しかし、さすがは、ルネッサンス期最大の作曲家。パレストリーナでは聴けない順次進行以外のカノンが聴けます。それでも明瞭に聴けるのだから凄いの一言です。



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