思索の記録 2010.2.18

最近、聖教新聞の紙面で仕事と信心について触れられていた。
「信心即生活」であること、忍耐強く、鍛えの場と思い仕事に励むこと。
改めて痛烈に残った御金言は、

教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ


日蓮大聖人御書全集 P1174(聖教新聞社)】

そして、これが、最も出来ていない状況にあるという現実がある。とっさに適切な言葉が出ない、思索はするけれども具体的にしていくことが苦手、手が不器用など職場不適用の様相を呈している。できないからこそ稼働時間が長くなった理由にもなっている。不規則で長くなればパフォーマンスは更にダウンする。この数日身体フラフラ、突発的な眠気に襲われ続けた。そして深夜は寝付けなくなった。そして負の連鎖ができている。ストライクゾーンの狭いプラス面は反映し難し。考えられることは一通り試みた。そして結果に結びつけることはできずにいる。プライドがないと言われることも多いが、こうした状態では、とこかく、劣等感や絶望に人はさいなまれやすい者だ。緊張から失敗も増えていく。結論は、いてはいけない人間だ、ということ。そしてさらに心身にダメージが来たら取り返しが着かない状態になりそうだ。


自他共の幸福を実現するために、違うフィールドに行くべきだ。僅かな時間で勝ち取り、より、特性その他諸々具体的に。


昨日はそのことで、多いに触発を受けたり。
1日以上起きている。しばしの休息を、そして、また歩きだそう。



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