思索の記録 2010.2.25

24日夜、仕事を終え、この日私とするのが最後となる友との語らい。次合う時は共に成長した姿であることを近い握手を交わして帰った。
25日早朝、布団の中で祈り、題目三唱して出社。帰宅は、またもや遅れ、1時間半終えて終了。眠気と疲労でフラフラしていた。と言いながら、深夜早朝は中々寝付けないでいる。
この状態になると、やはり普段では想像できない凡ミスが増える。嗚呼、何度落胆しただろうか。法を下げるという言葉の意味を実感している。何よりも迷惑をかけることに罪悪感を憶えるのだ。


物事を具体的に考えることが苦手な傾向は、祈りにも現れていることを、今になって悟りたり。発達障害の可能性があることにも度々触れてきて今改めて思うことは、故に乗り越えていきたいと言うことなのだ。同じ事で苦しませまい、そして共にそうした人々と、共に分かち合いながら生きていく。そうした中に、ファウスト的悪魔の超克ができるはずだ。そのためにも、この困難な道を越えていかないとね。


WEBERNの記事を更新。もう少しわかりやすくまた、ゲーテヴェーベルンの接点が伝えられたであろうか。さて、感謝の祈りをして眠りにつこう。



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