鬼武者 Original Sound Track〜交響組曲「日昇 RiGiNG SUN」聴きこみ Part 1

あれからも時間があれば聴いていた。その中で思ったことは、1回でその本質を掴めなかったことである。初見の感想は、過去に綴っている。恥ずかしい限りだ。私は、まだまだ三流、四流の感性でしかないと迷わず聴きながら思った。

この調べには、ヨーロッパと東洋(日本)の非常に幸運な出会いがここにある。
インド古典音楽に精通している者は、西洋音楽微分音やポリリズムを破棄した点を嫌う傾向がある。
そんな彼らでも、唸らせるものがあると思う。

ありとあらゆる異なる要素を鉄壁の形式の中で止揚統合は、私がずっと追い求めてきたものである。
その理想形がここにある。

この延長線上にあるものが、私が本当に作りたいものなのだろうと、思えてくる。
時間と金銭に余裕があれば、オーストリアには訪れようと思っているのだけれど、ヴィーンの世紀末様式の建物・絵画とオーストリア国会議事堂、ゲーテが絶賛したレンブラントの絵画を除くと、見たいものはすべてサルツブルク及びサルツカンマーグート地方になってしまった。

というのも、あんな転調、ドミナントを機能させない悲哀と清澄感に満ち溢れた長調の調べをかけるのは、モーツァルトくらいだろうと、ますます思えてくるからだ。

というわけで、ここ最近聴いたクラシックは、佐村河内守モーツァルトで9割を占めてしまった。
この傾向がどんな影響を与えるか楽しみでもある。