モーツァルトに聴き耽りながら

そう、アルバン・ベルク四重奏団+1名で演奏されたモーツァルト 弦楽五重奏曲 第3番 ハ長調 K.515を聴きながら、図書館でハイフェッツらがタッグを組んで演奏したCDの方が聴き映えが良いと言うことで、図書館から借りて取り込んで随分聴いた。
ここ数日とりわけ聞いていたのは、ブルックナー交響曲第8番、9番、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番、大フーガ。
そしてモーツァルト 弦楽五重奏曲 第3番 ハ長調 K.515である。
この無邪気で屈託のない明るさの中で、悲しみは疾走していく。長調から一瞬短調に切り変わるの転調も見事。この曲に関しては3月のあの日に綴ろうと思っている。

モーツァルトの楽曲でもう少し絞り込みが出来そうだ。
20世紀後半に入って編曲されたものになるのであるが、こうして聴くと極めて凝縮した編成による協奏交響曲に聴こえてくるところがまたいい。

元々の編成は以下、


最終楽章をMiDi Animationにしたのが以下、

交響曲第41番と比べるとホモフォニックなのであるが、それぞれのパートがソロを取り、それ以外のパートが伴奏に各々が入れ替わってされていくのがよくわかると思う。

これは、つい先日知った事。
それは、モーツァルトが、J.S.バッハの対位法に目覚めたのはヴィーン移住後とされているが、作曲家でもある教授陣から興味深い論文が出ていた。

モーツァルトのポリフォニー作品への一考察 ~ 教会音楽作曲家としての生涯を探る~


以下、要約。
ジョバンニ・バッティスタ・マルティーニ神父に、見出されて厳格対位法を体系的に学んだのは有名だ。それ以前の、11 歳の時に父レオポルトから与えられたフックスの著書『古典対位法』で、彼は対位法を既にある程度学んでいたのだ。またザルツブルク在住のエーベルリーン、アードルガッサー、ミヒャエル・ハイドンといった先輩作曲家からの影響があったために、ジョバンニ・バッティスタ・マルティーニ神父に出会う前から教会音楽作品中に多くのフーガが残されていることも知ることが出来た。一方、対位法を駆使した作品が生み出された背景には、ザルツブルクを離れ他の都市で教会や宮廷付きの作曲家の職を得ようとしたモーツァルトが、対位法の卓越した書法を誇示するためであることも。
ヴィーンに行く前に教会音楽を80曲余り手がけバロック時代の様式のフーガを書いていることも確認できた。
またモーツァルトがヴィーンに出てからフリーであることよりも、本当はザルツブルク時代同様教会音楽家でありたかった可能性も示唆している。

ザルツブルクのコロレード大司教の時間的な制約を求める指示により、コンパクトなミサ曲を作曲しなければならなかったことにある。曲想もまた、内容の荘厳さよりは華やかで祝典的な作品を求められていたこと。そのため、ポリフォニックなミサ曲を書きたくても書けなかった。と言うのも、書けば時間的な制約を越えてしまうからである。
モーツァルトが生きていた時代は、職人作曲家という立場で用途に合わせて作曲することがごく当たり前であった。そのため、交響曲といった器楽曲やオペラなどがホモフォニー主体で書かれていることは、まさにそういった時代の流行や趣旨に合わせた結果であった。ポリフォニーの書法はバロック時代の流行であったが、教会の中では依然として格式の高い音楽、として主流であった。このため、モーツァルトも依頼主の要望に応えるべく、対位法技法を身につけて作曲をしていた。

このモテットで、すでにソナタ形式とフーガを融合させている。この時、まだ19歳。
d-mollという調性もあり、既にレクイエムに近接している。また再現部の経過部での三重フーガは、交響曲第41番終楽章の五重フーガへの飛翔を感じさせるもの。

kyrie 冒頭から3分18秒まで。ここでもソナタ形式とフーガの融合が図られている。

Kyrie 冒頭から3分12秒まで。ここでもソナタ形式とフーガの融合が図られている。
Credo 8分3秒から14分34秒まで。交響曲第41番終楽章の主要動機である「ド・レ・ファ・ミ」音型が出てくる。この音型はもともとはグレゴリオ聖歌で、18世紀には、讃歌《輝く創造主 Lucis creator》の冒頭部として知られていた。
36小節からは《ジュピター》終楽章の特徴でもある主題の様々なストレッタの手法が主旋律で表れ、57小節では対旋律のように弦楽のユニゾンの動きを伴って歌われる。
100小節からのストレッタでの弦楽器の伴奏形は《レクイエム》K.626の〈主イエス・キリスト〉、及び〈いけにえと祈りとを〉の後半の‘Quam olim Abrahae ~ ’のフーガと大変類似したオーケストレーションによる伴奏形である。主題はなおも2拍縮まってストレッタしている。
さらに118小節からは、明確な二つの対唱(CS I、CS II)を伴った三重フガートが展開され、《ジュピター》終楽章の五重フガート(371~)によるコーダを彷彿とさせる。まだ、モーツァルトが18歳の時の作品である。

こうしたことから研究者によっては、こういった謎を問いかける事例もある。

この作品中の「唯一の神、全能の父を〔信ず〕」という歌詞を繰り返す部分は、《ジュピター》のフィナーレでこのモティーフが繰り返される部分と、密接に関連している。すると《ジュピター》には、モーツァルトクレド〔*信仰告白〕が含まれているのだろうか?(ザスラウ 1989: 474-476)

モーツァルトの主軸はこうしてみると、協奏曲、オペラ、教会音楽のように思えてくる。