Carlo Gesualdo

カルロ・ジェズアルドは、私が、ついさっき聴いた、末期ルネサンスの作曲家だ。モンテヴェルディと生きた時代を共有するが、こちらは、通奏低音を用いることは終生なかった。
ルネサンス時代にして、19世紀末のような半音階な音楽語法を用いた孤高の作曲家である。この言葉を見て、私は注目した。

ジェズアルドが余生において罪悪感に苦しめられたという証拠は無視できないし、自作においては罪の苦しみを表現したのかもしれない。ジェズアルド作品で一番明らかな特徴は、極端な感情を示す語への、風変わりな曲付けである。「愛」「苦痛」「死」「恍惚・喜悦」「苦悶」などといった言葉がジェズアルドのマドリガーレに頻繁に登場しており、歌詞のほとんどが恐らくジェズアルド自身によって作詞されたのだろう。
ジェズアルドは殺人犯として有名になった半面、ルネサンス音楽の最も実験的かつ最も表現主義的な作曲家の中でも、間違いなくとりわけ大胆な半音階技法の作曲家として今なお名高い。ジェズアルドが用いたような半音階進行は、19世紀の後期ロマン派音楽になるまで再び現れることがなく、調性音楽という文脈においては直截に並び立つ存在がなかったのである。
ジェズアルド様式の特徴は、部分的な構成にある。つまりは強烈な、ところどころ衝撃的な半音階進行から成る、わりあい緩やかなパッセージと、急速なテンポによる全音階的なパッセージとの交替である。歌詞は、一つ一つの語句に最大限の注意が払われ、音楽によく馴染んでいる。半音階的なパッセージには、単独のフレーズの中に半音階の12の音すべてを含む例もあるのだが、尤もそれらは別々の声部にばら撒かれている。ジェズアルドは半音階的な3度進行をとりわけ好み、一例を挙げると、《かなしや吾は死す》の開始において、イ長調ヘ長調の主和音同士を、また嬰ハ長調イ短調の主和音同士を連結している。

カルロ・ジェズアルド- wikipedia



こちらのピアノロールを見ると、メロディの重ね方が、とんでもないことになっていることがわかる。
異なるメロディ、リズムのぶつかりあいは、対斜を生む。19世紀のブルックナースクリャービンの死を見送って亡くなったセルゲイ・タネ―エフが好んだ、神々しさや高揚感が、この時代にすでに生まれていたとは。これを対斜というならば、対位法が生む対斜を知るうえで非常にいい教科書に思える。パートも5と少ないというのもある。この全音階と半音階の交差において、皆が良く知る作曲家で上をいく作曲家と言うと、モーツァルトしか思い浮かばない。モーツァルトは、交響曲第40フィナーレで使った半音は11なので、徹底した半音階でいうと、単純には劣る。バロック・ロマン派で12半音を使い切った事例は、J.S.バッハ、フランツ・リスト、R.シュトラウスシェーンベルク、レーガー辺り。マーラーブルックナーは、2人とも遺作となった交響曲モーツァルトと同じ11、ただしこの辺りの世代は、半音階進行は、同等以上になる。