けだるさが支配する中聴く、Mozart

今、けだるい中でモーツァルトを聴いていた。
iPhone内のプリセット変更もあって、聴いていたというのもあるのだけど。
はじめて聴いた作品は、当時としては前衛的だと思われる、ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478である。

初めて、交響曲第40番 ト短調 K.440と交響曲第41番 ハ長調 K.551の各フィナーレを聴き比べをした。というのも、ジョージ・セル指揮、クリ―ヴランド管弦楽団のCDを所有しながら、PCに取り込んでいないほど、普段は聴いていないのだ。私がweb上でお会いした方だと、音楽教師であり作曲家でもあるschweizer_Musiker氏が、最も好きな作品として挙げておられた。氏の作品は、モーダルな調性音楽という印象。考えは異なることも多かったが、私は氏の楽曲解説のファンであった。20世紀音楽で意見を交わし合ったことも懐かしい。
さて、一般的には、40番のフィナーレの方が、時代の先を言った作品として知られていると思う。主題に11の半音が使われていることと、展開部においてめまぐるしく転調しながら嬰ハ短調にまで達していることも理由の一つに挙がると思う。

それでも、私は、ドン・ジョバンニ序曲と並んで、最も劇的な調性対比をしている41番フィナーレのコーダ冒頭の方が革新的に思えてくるのだ。
その該当箇所は、下記動画

10分18秒から32秒まで。ここでモーツァルト特有の機知と劇的な調性対比の極致を見る思いだ。この強烈なパトス、その後凝縮されつくした空虚な雰囲気を与えるフルート、オーボエが奏でる同41番 第3楽章のメヌエット主題の再登場。これは、交響曲第40番、ピアノ協奏曲第24番、ドン・ジョバンニに負けじと劣らず当時の聴衆に衝撃を与えていてもおかしくないように思うのは、私だけだろうか。それが、最後は同交響曲主要主題の5つが、ハ長調に転調されて終わる様は、モーツァルトが脱線から理性に戻る姿と言うこともできると思うし、K.503,K.595のピアノ協奏曲、魔笛とは近くて異なるモーツァルト流の諸様式の統合ともいえると思う。