3S政策を調べてからの苦悶、そしてその答えは

なんで悩んだと言うと、いわゆる自由主義社会で芸術がただのガス抜きとして使われていた節があると言うこと。これは、ハプスブルク帝国とて例外ではなかったと言う衝撃の方が大きいかもしれない。社会主義リアリズムや、ナチスのようなこれ以外認めないと言う空気も嫌いだ。前衛音楽一辺倒のアカデミズム、それに対する調性音楽の復権一辺倒が嫌いなのは、最終的には、多様性を拒否していることにある。今のポップスも、私は好きだ。芸術性が高くない作品がほとんどであるかもしれないが、そののなかにある美や言葉を否定するのはどうだろうか。昔はよかったではなくて、今も昔もいいでありたい。ゲーテは、『否定からは、何も生まれない』と述べたが、実際には、否定のための否定を指している。○○以外認めないと言った排他的思考への批判・否定であった。

この問いは、小説は餓えた子供を満たせるかにも近いかもしれない。
R.ヴァーグナーの死後、大衆音楽と芸術音楽の乖離は著しい。コルンゴルト辺りの、世紀末を彩った前衛にも目を向けさりげなく取り入れた保守的なロマン主義の音楽家は芸術性を持っているけれど、大衆音楽の扱いを不当に受けていたように思えてくる。彼らの多くが、オペラ作曲家として成功したことが技和しているかもしれないけれど。世界中でメガヒットを飛ばしたグレツキアルヴォ・ペルト佐村河内守氏は、その流れを変えていくかもしれない。その答えは、シュニトケ(シニートケ)のこの言葉にある気がしてくる。

「私の生涯の目標は、芸術音楽と軽音楽の統一なのです。そうしたら、たとえ私の首が折れてしまうとしても」

シュニトケ - Wikipedia

私が描いてみたい音楽と言うのは、モーツァルト佐村河内守氏の音楽の先にあるものだと、今は思えてくる。
7月8日に、佐村河内守氏に関するNHKスペシャル金スマに出演した野本氏の本を、立ち読みした。
はじめてのオーケストラ・スコア―スコアの読み方ハンドブック
楽器の配置、特徴、楽譜の記号は、スラスラ頭に入る。30-40分くらいで、読み終えたはずだ。
その他レビューを見る限り楽譜の音楽的な「読み方」は、これでは学べないらしい。
まだ買った本は、手を付けていない。