光は詩う  雪柳 光の宝冠  自分らしく輝け!!

2007年の法戦より、ラインの仲間と度々研鑽したご指導です。

心に残った点を、引用致します。

 青春は苦しい。悩みばかりだ。しかし、悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、後から振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ。
 だから苦しみから逃げず、苦しみの真ん中を突っ切っていくことだ。それが森を抜けるぬ近道だからだ。
 寂しければ、その寂しさを大事にすることだ。寂しさや悲しさを、遊びなんかで、ごまかすな。使い捨てるな。耐えて、耐えて、自分を育てる「こやし」にしていけ。
 にげたくなることもある。



 完全燃焼したところが、心が安らぐ「自分の居場所」になる。



 感謝できる人は幸せな人だ。



 人間だって、花と同じように、光がいる。人も、人から大事にされないと、心が枯れてしまう。だから君が、みんなの太陽となれ。
 人間だって、花と同じように、水がいる。自分が自分を励ましたり、喜ばせたり、心を生き生きさせないと心は枯れてしまう。
 自分で自分を励ませる人は、すてきな人だ。人のつらさも、わかる人だ。自分で自分を喜ばせる言葉を、強さを、賢さを!落ち込んだ心を、よいしょと自分で持ち上げて!
 自分で自分を好きになれないと、人だって愛せない。



 ほかの花と自分を比べようなんて夢にも思わなかった。人が自分をどう思うかなんて、どうでもよかった。自分にできるかぎりのことをすること、それしか思わなかった。
 今、だれもが個性、個性と簡単に言う。「自分らしく生きる」と言う。でも本当は、それは茨の道である。みんなと同じようにしている方が楽だからだ。



 そう、自分の道を歩み抜いた人は、だれでも英雄だ。「みんなが一等賞」なのだ。宝冠の人なのだ。
 だから「自分にできないこと」ばかり数えて落ち込んだり、文句言ってるなんて愚かだ。「自分にも今、できること」が何かある。必ずある。それを、やり抜く人が偉いのだ。その人が最後は勝つ。



 運命は外からやってくるんじゃない。君の心の中で毎日、育っているのだ。
 毎日がつまらない時。それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。
 人生をむなしく感じる時。それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。
 人生に、うんざりした時。人生の方が君にうんざりしたと言っているかのかもしれない。
 人間は結局、自分自身にふさわしい人生しか生きられない。
 だから、成績は中くらいでもいい、人間が大であればいい。頭がいいとか悪いとか、成績だけで分かるものじゃないし、生きる上で大したことではない。
 ただ、自分が「不思議だ」と思う疑問を大事に追求することだ。そのことを考えて、考えて、考え抜くことだ。
 そして、いざという時、真理と正義のためなら、自分を犠牲にできる人になれ。そんな人が一人でも増えた分だけ、この世は美しくなる。


 世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。指折り数えて待っている。待たれている君は、あなたが生きなければ!めぐりあう、その日のために!


 輝くためには、燃えなければならない。燃えるためには、悩みの薪がなければならない。
 青春の悩みは即、光なのだ。


聖教新聞、光は詩う 第18回雪柳 光の宝冠より】

 シベリウス交響曲第4番のような暗雲の中での、悩みがつきない日々が続いております。この大商人には仏法には、「煩悩即菩提」ということがあります。悩みという薪を信心で燃やす中にこそ、あらゆる闇を完全に打ち破る智慧が湧き、慈悲と勇気が湧き、成仏があり、人間革命はあると仰っております。


 自分の辛さを、ごまかしていないでしょうか?逃げずに生きていこうとしているでしょうか?失敗を自分以外と決めつけてはいないでしょうか?人と比較になりがちでしょうか?自分で自分に、背中を押せているでしょうか?


 自分自身を受け止める力の無さとの死闘は続いておりますが、悩みに真っ正面からぶつかれることに感謝できる人間でありたい、自分のことを受け入れられる人間でありたい。
 1番苦手なことの一つであるからです。なぜそうなったかは性格のことなどで何度も書いたとおり、沢山の原因が複雑に絡み合っているために、一筋縄では行きません。しかい、それなしに、私にしか溺愛使命など、見つけられるはずもありません。


日々の研鑽が足りない。あと一歩、あと一歩踏ん張ろう!!そこにしか、勝利はないはずでです。きょうから、研鑽のペースをあげて参りたい!!



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