シベリウス交響曲第6番の美しさについて考えてみる

 未だに、聴けば聴くほど吸い込まれていくのです。シベリウス交響曲第6番。芸術音楽では、前衛的・実験音楽的な作品ばかりで、美しい音楽など、一部を除いて無いといって過言ではなかった時代。実際に、1990年代にはいるまで、美しい音楽は、主流ではありませんでした。シベリウスの楽曲は、交響曲第4・7番、タピオラはかなり晦渋であり、その演奏は、ブルックナー以上に指揮者の好き嫌いが分かれるのではないかと思うのです。交響曲第6番は最晩年に位置し、シベリウスの中では、最も演奏機会が少ない楽曲。しかし、私は1度耳にしただけで、虜になりました。モ−ツァルト、ハイドンと比べると、昔ながらの形式感は薄いにも関わらず、1楽章1楽章がきわめて簡潔にまとまっているからでしょうか。順次進行によるカノンで展開される。自由なソナタ形式で構成されているセクションがあるからでしょうか、教会旋法におけるドリア旋法が中庸の美徳と純潔さを起こさせる効果を持っているからでしょうか。フィンランドの森と湖に囲まれた自然が生んだ澄み切った溌溂とした響き。より無駄な音符を無くし、各セクションをシベリウス交響曲第5番の第1楽章のように、シームレスにつなぎ、それぞれのセクションはソナタ風、冒頭とフィナーレは早く、時には緩徐に、時にはメヌエットスケルツォ風に変化。順次進行のカノンを用いて展開。楽器はもちろん、透明で澄み切った音色が出る楽器で。

 この曲は、まだじっくりと聴くことになりそうです。



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