妙法の陰徳陽報

此れ程の不思議は候はず此れ偏に
陰徳あれば陽報ありとは此れなり

(四条金吾殿御返事 P1180)

仏法の陰徳は「心」で決まる。(中略)
まさに「心こそ大切」なのです。
ただ、その心という者は、すぐに縁に紛動され、揺れ動いてしまう。だからこそ、師の言われる通り仏道修行に励み、師の心に我が心を合致させていく。
この不二の結合から、金剛不壊の仏の力が生まれるのです。

心こそ大切。自身の心を師にしてはいけない。仏界の湧現なき心は、縁によって揺れ動く心とともに揺れ動いてしまうからだ。師が仰ったように唱題、学会活動に励み、
師と心を合わせた時に、人の本来の力の解放がある。

大変であればあるほど、自分が率先して祈り動く。誰よりも苦労して、勝利を開いてみせる。その決定した「不惜身命」の信力・行力に、偉大な仏力・法力が現れるのです。
広布も人生も真剣勝負です。
油断や逡巡、要領や狡さがあれば、闘いは勝てません。

苦境の時こそ、誰よりも苦労し、自ら祈り動く中で、勝利を勝ち抜く中に、本来のポテンシャルが発揮され、真剣勝負に勝つ。油断・逡巡、要領や狡さがあれば、戦には勝てない。

学会活動に徹し抜いた功徳は絶大です。(中略)
これが一念の力であり、妙法の力であり、勝利の方程式です。広布の責任を担い立つ行動は計り知れない威光勢力を広げます。

学会活動ができない日々になって久しい。近い内に打破してみせる。そして自分以外が見えなくなりことからも脱却を。

なにがあっても題目を唱え抜きながら、永遠に崩れざる幸福の大境涯を開き切っていく。祈りは「宝刀」です。これに勝る功徳はありません。これが、妙法の「陰徳陽報」です。
大聖人は、絶え間なく金吾に励ましを贈り続けられた。これが仏の振る舞いであられる。

絶え間ない励ましを遅れる人こそが、真の振る舞いが出来る人なのだ。

影で苦労する人に、最敬礼して感謝と労いの声をかける。喜びが広がり、力が倍加する。

同志に常に感謝し抜く姿勢。


いま。すべてにおいて、中途半端と言われても、否定のしようもない日々を送っている。
1つをすると他が見えなくなってしまうからだ。
仕事を例に取れば、知っていること以外はできず、はじめてのことはかならずミスをする。
単純なミスを、注意された後ですぐする傾向、手も不器用、コミュニケーション能力の低さを自覚している。
かなり苦手としている作業は、誰よりも弱い。そして今はそうしたところにいる。
理解されず、無力感や憂鬱におちいりやすい背景はこうしたところにあるのだろう。
それさえ、乗り越えていこう。



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